太陽が沈んだ。
緑色だった森は既に黒く染まり、聞こえる音も鳥の囀りから虫の声へと変わっている。
「…ん…んっ……んく、はむっ」
その中に、虫とは違う声がしていた。
「んぐ……む、ふぅ…ぁ、む…ちゅ」
小さく、くぐもった女の声に、たまに混じる水音。
彼女は息をするのも忘れてただ口を動かす。
「んっ…んむっ…んちゅ……ぷ、はぁ」
口を離し、一瞬息を整える。そして、手でそれの中ほどをそっと掴み直すと、
「あむっ……」
一気に吸い付いた。
その瞬間、どばっと生温いモノが口の中に流れ込む。
彼女にとって初めての味。酸味が少し。しょっぱさも少し。
でも、とても甘い。
「んっ……こくっ……んくっ……」
彼女は昔からの大好物のように、白く濁ったそれを夢中で飲み続けた。
咥えていたものからそれが完全に無くなると、名残惜しそうにゆっくりと口を離す。
「ふぅ……ご馳走様。美味しかったよ」
それを間近で見ていた男は彼女の顔を見て……
「じゃあゴミこっちにくれ」
「うん。はい」
「ゴミは持って帰りましょう。ハイキングの常識ってね」
レーションの袋と空のペットボトルを受け取った。
食事を終え、そのまま座って休む。
「意外とよく食うんだな」
「歩いて、お腹すいてたし。スポーツドリンクだったっけ? あれも飲みやすかったからつい」
「そうか。今のうちに休んどけ」
「うん、そうする」
この後も休憩を挟みながらだが夜通し歩くという。彼が言うには、暗くて視界が極端に悪くなる夜間こそ移動距離を稼ぐチャンスらしい。
「……それにしても」
「ん?」
「ジーユーエヌって、不思議な物がたくさんあるね」
ガラスのように透明だが柔らかい容器。紙のように薄くて軽いが丈夫でなかなか破れない入れ物。水を入れるだけで高熱を発して料理を温める袋。
全てが、彼女にとっては初めて見る物で、それまで想像もつかない物だった。
「魔法なんて便利なもん、コッチには無いからな」
魔法は、使う者の資質にもよるが極端な話、知識と想像力があれば思い通りの物を作り出す事ができる。
しかし彼らのいた世界は、それが全く存在しなかった。
「思えばポンと出て来るなんて、アイデア以外にない。だから森とか土の中から色々な物を取って来て、バラして、使えるものを選んで、また組み直す。要は俺たちゃ、裸で槍持ってウホウホ言ってた頃からなんも変わっちゃいないんだ」
「こうやって暗い所を見るにしてもな」
そう言って彼は、いつの間にか兜に付けていた小さな箱のような物を、目の高さまで下ろした。
「…っ、あはははは! 何それ! サイクロプスみたい!」
箱の先端にある覗き穴は大きな楕円形をしていて、正面から見たらまさに一つ目のサイクロプスであった。
思わず笑い出した彼女を見て、サイクロプスになった男も顔を綻ばせる。
「そうさ。サイクロプスの真似事をしなきゃ、暗い所も満足に見れねえのさ」
そうしてしばらくの間笑っていた彼女だったが、
「ふふふふ……あっ」
それは急に止まる。
(私、この人と普通に喋って、笑ってる……)
頭上に輝く月が太陽だった時までは、ずっと壁の向こうにいる彼らを恐れていた。
凶暴で血も涙もない悪魔だと。笑いながら相手を引き裂き、血を流して苦しむ様を見て楽しむような外道の集団のように思っていた。
だが今は笑いながら話をしている。
5年間感じ続けていた恐怖が、ものの数時間で消えてしまった。
「……なんで私達、戦争なんかしちゃったのかな」
「何?」
彼女の表情の変化に気づいた男が、怪訝な表情で見る。
「私、あなた達の事がとても怖かった。人の皮を被った悪魔だって思ってた。こんな風に喋れるなんて、思ってなかった」
「こうして笑って喋れるのに、どうして5年前はそれができなかったのかな……なんで仲良くなれなかったのかな」
それを聞いた彼も、顔を曇らせる。
虫の声だけが響く。
暫くして、男が口を開いた。
「俺達も、できればそうしたかったよ。前の世界じゃ絶滅させられかけるし、こっちに来て初めて会った人間は、異教徒だってだけで突っ掛かってくるし、お前らの所だって」
「…………」
そして、彼は言葉を選ぶかのように語る。
「個人的な感想だけどよ、お前はいい奴だと思う。そりゃ、皆が皆、5年前の奴らみたいなのだとは思ってないし、いい奴もいるとは思ってたけど……実際にそういう奴がいるって分かった。お前みたいに考えられる奴がもっと増えれば、仲良くなれるんじゃないかな」
仲良くなれるかもしれない。
その瞬間彼女は、胸が少し軽くなったような気がした。
彼らもまた、ただの人間だった。
自分たち以外の種族に警戒感を抱いていただけの。
過激派の性急な行動が、絶滅に
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