花畑の中に、一人の少女の姿があった。
遠目から見れば一見して美少年とも見える中性的な容姿を持つ彼女。だが、その頭から伸びる角や尻尾といった魔物の特徴を除いたとしても今ばかりは男性と見間違える者はいないだろう。
「よい、しょ……」
彼女は体の線からすると不自然に大きく膨らんだお腹に気を使いながら、花畑に咲く白い花を摘み取っていた。
そう、子供を身籠っているのだ。
彼女は今、とある用事で出かけている夫の帰りを迎える為の花を摘みに来ているのだった。
周囲を見渡せば、周囲には高い壁が積みあがっていて――この花畑が、どこかの城の敷地の一画に作られているものだという事が分かる。
「これくらいで、いいかな……?摘み過ぎは、駄目だよね」
返事をするように、お腹の中で赤ん坊が動いた感触があった。
「……ふふ、そうだよね。いい子」
目を細めて、少女は幸せそうに自らのお腹を撫でた。
早く、この子に会いたい。大好きなあの人と一緒に考えたこの子の名前を、呼んであげたい。
「…………あ……」
踵を返す少女の背後で一陣の春風が吹き、地面の花びらを舞い上げた。
まるで、その幸せを祝福するように。
ここは、魔界国家フラヴィリエ。
魔灯花を国章に掲げる、魔界第七十王女のリリムが納める国。
――――――――――――――――――――
フラヴィリエは今、戦争状態にあった。
正確には、開戦のその一歩手前。新興の国家でありながら幾つもの反魔物国家と国交を結び、親魔物国家へと転向させた切っ掛けを作った実績を脅威と見なされ、教団から軍を差し向けられているのだ。
国の中央に建つ城の中、自軍の指令室も兼ねた為政者の執務室に掛けられた壁一面の大鏡には、魔術によってその前線の様子が映し出されている。
そんな部屋に響くのは、しかしそんな状況には似つかわしくない声。
「ママぁっ、パパが、パパがぁっ!」
「えぐ……お姉ちゃんっ、どうしよう、お父さんを助けに行かなきゃ!」
小さな魔物達の泣き声が、ぎゃんぎゃんと響いていた。
バフォメットやオーガ、稲荷にワイバーン、ホルスタウロスにクノイチと呼ばれる極東特有のサキュバスの亜種……その他様々な種族が入り混じった彼女達が必死で指差しているのは、鏡に映る教団の大軍勢と――それを迎え撃つように並んだフラヴァリエ軍、その先頭に立つ父親の姿だった。
「こうなったら、わたしたちでお父様を助けにいきましょう!」
「あの……大丈夫だから、皆落ち着いて、ね?」
今にもおもちゃ箱からお誕生日に買ってもらった子供用の魔界銀製武器を取ってこんばかりの勢いの彼女達を宥めているのは、泣いている魔物よりも一回り大きい、白い髪と羽根を持った姉妹。彼女達の一番上の姉だ。
小さな魔物達は、必死だった。
このままでは、父親が殺されてしまうと思ったから。
表情の変化が分かりにくくて、不器用で、いつも沢山いる母親達に振り回されていて。
でも、彼女達は知っているのだ。
彼が、どれだけ自分達を愛しているかという事を。
自分達が生まれる前には、徹夜で山積みの本に埋もれて名前を考えていた事。
夜泣きが始まっても嫌な顔一つせず、ただ静かに自分を抱っこしてあやしていた事。
自分が生まれる前の事、赤ん坊の時の事だって知っている。
母親達が、そう教えてくれたから。
自分の妹が生まれるときも、そうだった事を見ていたから。
興奮収まらない様子の妹達に、白い淫魔は困ったように振り返る。
「どうしましょう、お母様」
「……ふふ」
そんな娘の様子に、彼女と同じく白い羽根と翼を持つ淫魔は椅子に腰かけて微笑んでいた。
彼女こそが、このフラヴィリエの支配者。
年齢を重ねて子供を産み、さらに艶熟した美貌を備えた彼女の唇から、娘達を優しく宥めるように言葉が紡がれる。
「こら、皆お姉ちゃんの言う事を少しは聞かぬか」
「だ、だって……」
尚もぐずる娘達に、彼女は続けた。
小さな女の子が、ずっと秘密にしていた好きな人の名前をそっと耳元で打ち明ける時のような――そんな、少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべて。
「安心するがよい。お前達の父親はの……実は、もの凄ーく強いんじゃぞ?」
「ほ、ほんとう……?ほんとうに?パパ、死んじゃわない?」
「うむ、本当だとも。……ほら、おいで」
腕を伸ばした母親に抱き締められた娘達が、徐々に落ち着きを取り戻し始める。
娘の中でも幼い彼女達は、家にいる間の父親の姿しか知らない。
彼女達が知っているのは、優しい父親としての男の姿だけなのだ。
彼女達は、信じるだろうか。
かつてその男が――まともな父親になどなれる訳がないと、涙を流していたなどと。
きっと、彼女達は笑うだろう。
だって、こんなに優しいパパなのに、と。
「さぁ、よく見ておくがいい」
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