魔王の城の最深部。
この世で最も多くの愛が交わされた豪奢な天蓋付きのベッドの上に、二人の淫魔の姿があった。
銀の輝きを束ねたような美しい白髪。最高級のルビーのように深い紅の瞳。
一人は、全ての魔物の頂点たる魔王。
もう一人は、その70番目の娘である魔界の姫。
生ける全てを魅了する絶対の美貌を持つ二人は、しかし幼い娘と母親のように片方の膝に顔を埋めてすすり泣き、また片方は慰めるようにその頭を撫でていた。
「っ、ぅ……妾は……母上の娘、失格じゃ……」
『私達ではダメなんです。……貴女で、なければ』
それだけは。
それだけは――絶対に、彼女達に言わせてはいけなかった言葉だろう。
魔物の姫であるアゼレアは、魔物達が異性を想う気持ちがどれだけ大きな物なのかを誰よりも良く知っている。
だからその一言を口にするのが彼女に達にとっていかに苦しく、悲しい事なのかもよく分かっている。
「……っ、ぅ………っ!」
配下の魔物達をそこまで追い詰め、恋した男は自分の采配の誤りが原因で廃人のようになってしまった。
そんな体たらくで、よくも。
この王魔界と並ぶような国を、作ってみせるなどと。
「………………」
――この子をこうして慰めるのは、何時ぶりだろうか。
自分とよく似た、泣きじゃくる娘の髪を梳くように撫でながら、魔王は思う。
小さい頃は、よくこうして泣きじゃくるこの子を、膝の上で慰めたものだった。
負けず嫌いで。お転婆で。
いつの間にか、すっかり立派になったと思っていたが――きっと彼女の根元の部分は、あの頃から変わっていないのだろう。
だから魔王は、あの頃のようにただじっと娘の頭を撫でていた。
知っているからだ。
「……っ、ぐ、はは、うえ……妾は………」
いつしか涙の止まった彼女が、また自分の力で立ち上がろうとする事を。
「……妾は、どうすればいい…………?」
そして、その為の助言を必要としているという事も。
だから魔王は、彼女の頭をその胸に抱き寄せて言った。
――貴女は今、幸せなのか、と。
「…………え?」
アゼレアはぽかんと口を開けて母親を見上げ、考える。
その言葉の意味を。
これはきっと、とても大切な問いかけなのだ、と。
「…………!」
そうして、思い至る。
アゼレアはごしごしと目元を拭うと、立ち上がった。
一度大きく深呼吸をすると、気合を入れるように自らの両頬を手で叩く。
「ありがとう、母上。…………行ってきます」
――はい、行ってらっしゃい。
これから彼女が向かうのは、魔物娘にとって一世一代の大勝負。
そんな娘の背中に、母は穏やかな表情で手を振るのだった。
―――――――――――――――――――――
ぱちん。ぱちん。
ランプの明かりが灯った病室に、爪を切る乾いた音が響いていた。
手を差し出し、預けているのは身体に幾重にも包帯を巻いた男。
その手を膝に置くのは、紅白の装束を纏った女。
「この爪切り鋏っていうの、便利ですねぇユキちゃん。うちでは、小刀で整えてましたし」
「…………」
ぱちん。ぱちん。
女が感心したような口調で話しかけても、男からの返事は帰ってこない。
乾き切ったその眼球を、じっと伏せたまま。
「『夜中に爪を切ると親の死に目に会えない』なんて言いますが、これなら怪我をする事も無さそうですねー。……まぁ、もう二人とも死んじゃってますけども」
「…………」
男の返事はない。
そんな行綱の爪に、舞は丁寧に鑢掛けをし、切り跡を整えてゆく。
「ふふ、そういえば、覚えてますか?昔、ユキちゃんが小刀で爪を切っていたら、ざっくり手を切ってしまって……中々血が止まらなくて、私ったら大慌てしてしまって……」
返事はない。
ふっ、と息を吹きかける。
乾いた爪が、ランプの光を反射していた。
「思えば……私達は、随分と遠い所に来てしまいましたね」
「…………」
「ねぇ、ユキちゃん」
手を取ったまま、舞は行綱へと語りかける。
「……もう、戦うの、やめちゃいませんか」
「!」
初めて、彼の表情に変化が現れた。
「もしそうなっても、これからの生活に必要なお金は魔王軍が負担して下さるそうです。アゼレア様や皆さんも、ユキちゃんに付き添ってくれると」
「……っ…………!」
青年は、怯えるように首を振った。
だって自分は、戦う事しか知らないのに。
産まれてきてから、それしか教えられていないのに。
それを止めてしまった自分に、一体何が残されているというのか。
縋りつくような行綱に、舞は諭すように語り掛ける。
「では……ユキちゃんはその手でもう一度刀を握って、戦えるんですか?」
「…………」
行綱は、答えを返せなかった。
腹の底が抜けたような喪失感が。あまりにも惨めな無力感が、頭の中を埋め
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