第三話

常ならば少年とその師匠達が修行に励んでいる寺の庭は、一種異様なまでの緊張感に包まれていた。
その中心に居るのは、この捨てられた寺に住む魔物二人。火鼠のリンと人熊猫のメイだ。

「…………」

二人の様子は、普段とはまるで違っていた。常ならば絶えずニコニコとした笑みを浮かべているメイの目は薄く細められ、氷のように冷たい輝きすら放っている。この姿だけを見て普段の彼女の様子を想像出来る者はいないだろうし、逆に普段の彼女の様子だけを知る物が今のメイの姿を想像する事も難しいだろう。
そんな絶対零度の闘気を、対峙するリンは真っ向から受け止めている。余りにも激しく燃え盛る彼女の炎は、もはや四肢や尻尾だけに留まらず全身を包む程の猛火となり、その体は己の発した熱で歪む陽炎の中にゆらゆらと揺れていた。
向かい合った二人は無言のままに一歩を進め、互いに胸の前で右手の拳を広げた左手で包む。

「「いざ」」

彼女達の弟子たる少年が見守る中、視線を互いから外さないままの包拳礼を終えると共に、二人は静かに構えを取った。
リンは身体を正面に向けたまま僅かに重心を落とし、五指を揃えた右前の開手で。
対するメイは半身を引き、両手で握った棍を腰の高さで構える。

一呼吸。

次の瞬間。
引かれ合うように音も無く加速した二つの影が、一瞬にして交錯した。

聞いた者の背中が思わず粟立つ程に鋭い風切り音が、ほぼ同時に二回。
火の粉と共に、はらはらと宙に舞う赤色の髪の毛が数筋。
二人の戦いを傍で見ている少年には、たった今自分の目の前で起こった筈の出来事を理解出来なかった。
風切り音の数だけ振りぬかれた筈の棍の軌道。それを防いだ、もしくは躱した筈のその動き。
確かに目の前で行われている筈の攻防だというのに。確かにこの目の前で起きている筈の光景だというのに。それを認識する自分の目が追い付かない。
二人の距離が、一度大きく離れる。氷のように冷たく細められた目と、見開かれた中に炎を宿した瞳。互いが互いを、その視線で射抜いたまま。

「ふっ!」

次に少年の目が二人を捕えた時には、既にメイの手元にまで踏み込んだリンがその拳を振るっていた。
一体どれほどの速さでその間合いまで踏み込んだのか。だがやはりメイも尋常ではない。残像と火の粉を散らしながら振るわれるリンの手足を、後退しながらもその棍一本で巧みに防ぎ切り、再び間合いを離す隙を虎視眈々と狙っている。



何故、この二人がこれほどまでに本気で戦っているのか?
その発端は、本日の朝食の時間にまで遡る――





――――――――――――――――――――






「………………」

――何だ、これは……。

麓の村での買出しと手伝いを終え帰ってきたランは、朝食の席に着きながら困惑していた。

「は〜いルウ君、あ〜んして下さい〜♪」
「ちょっとメイ、ただでさえルウを抱っこしてるのにズルいわよ!……ほらルウっ、こ、こっちもあ〜んしなさい……?」
「は、はい……」

朝食とは思えない程に多くの料理が並んだ食卓を挟んだ反対側。そこではメイの膝の上に乗せられ、横にはそっとリンに肩を寄せられて座っているルウが、二人がかりで次々と料理を口へと運ばれていた。
身体を寄せ合って座る三人の頬はうっすらと朱く色づいており、空間に漂っている桃色の空気は濃厚過ぎて目に見えてしまうのではないかという程だ。
……一体、自分が昨日一日ここを空けている間に何があったというのか。そんなランの疑問は、向かいに座っている少年の両手首に起きている変化に気が付いた瞬間に氷塊した。

――ああ……。

良く見れば、少年の手首の周囲にはチリチリと僅かな火の粉が舞っているのが見える。だが、少年はそれを熱がるような様子もなく。ならばアレは間違いなく『火鼠の衣』がルウの体に燃え移ったもの。
火鼠が身に纏う毛皮の炎は、男性との性交を通じてその相手へと燃え移るという特性を持っている。ランも旅の途中、共に身体に炎を纏う男性と火鼠の夫婦を何組か見た事があった。
あれが誰から燃え移った火なのかは……考えるまでもない。この寺に居る火鼠はただ一人。リンだけだ。

つまり。

――そうか。リンも、少年と……。

その考えに至ったランの胸に、じくじくとした痛みが走る。何故か、これ以上そんな三人の姿を直視したくなかった。『食事の席だ、慎め』と、そんな言葉が口から出て来そうになった。

だが。

「ルウくん、あ〜ん♪」
「ルウ、あ、あ〜ん……」
「あの、師匠方っ!?そんな一度には食べられませんっ!?」

言えなかった。困ったような顔をしている少年の声には、同時にとても幸せそうな響きが含まれていたから。少年がそんな風に甘えるような仕草をしているのを、初めて見てしまったから。
思えば、少年は幼い頃にこの寺
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