人里から離れた、山の奥深くにある古い小さな寺。人混みの喧騒などは届かず、時折風がざわざわと木々や竹を揺らす音や、鳥達がさえずりが遠くに響く以外はしんとした静寂に包まれたその場所は、古い建物ながらも見る者にどこか東洋的な神秘を感じさせる。
そんな寺の庭に、二人の人影が並んで立っていた。
一人はまだ年端もいかない少年。十を数年超えたばかりであろう歳相応の小柄な体躯を霧の大陸の衣装に包み、静かに目を閉じて深い呼吸を繰り返している。どうやら精神集中を行っているようだ。
呼吸を整えた少年は、静かに目を開け目の前の空間に向かって構えを取った。左手足を自らの視線の方向へと向け、右半身はそれと直角になるようにして構える。流派によって細部は異なれど、多くの武術で『半身の構え』と呼ばれる一般的な構えだ。
ざざ……と、寺の庭に静かな風が吹き抜ける。一枚の笹の葉がくるくるとその風に弄ばれるように庭の中へと運ばれてきた。
「ふっ!」
少年は笹の葉が地面に落ちると同時、鋭い呼吸と共に地面を蹴った。
右の縦拳中段付き。突き出す腕以上に、踏み込む右足を意識する。打ち出す拳と踏み込む膝の縦軸をずらさず、何よりも腰を低く落とし、決して己の重心を崩さない。
「はっ!」
次いで右腕を素早く引き戻しながら左足で踏み込み、左肘での打ちあげ。次いで右踵で上段を真っ直ぐ打ち抜く蹴り。次いで……少年は鋭い声を発しながら、眼前の虚空に向かって次々と技を繰り出してゆく。
少年がその脚を踏み込む度、その見た目から想定される体重とは不釣り合いな重い音が響き、その手足は振るわれる度にひゅっと音を立てて空気を裂く。
「はあっ!!」
少年はかけ声と共に、低く縮めた状態の身体のエネルギーを爆発させるように左足を蹴りだし、その全てを重心を乗せた右足の踏み込みへと伝播させる。上半身の肉を締め、己が一つの鉄塊と化したイメージで。
数瞬遅れて、ズシン!という、一際重い踏み込みの音が周囲に響いた。鉄山靠。「背中」を用いた独特の型による体当たりで相手を吹き飛ばす強力な技だ。
数筋の汗を額に浮かべた少年は鉄山靠の姿勢のまま、数秒の間微動だにしなかったが、やがてそのやや乱れた呼吸を落ち着けると構えを解き、庭に立つもう一人の方へと向き直った。そのまま胸の前で右手の拳を広げた左手で包む、包拳礼という霧の大陸独特の礼を行った。
一方、腕を組みながら少年の型稽古の様子を真剣な様子で見ていた人物――いや、この場合『人』というくくりで彼女の姿を言い表すのは適切ではないだろう。全体的なシルエットとしては人間の女性の姿に近いが、うっすらと鍛え上げられた筋肉が浮かぶ肉体から伸びた手足は半ばから黒い直線模様の入った黄色い毛皮に包まれ、その先端などは猛獣のような肉球と鋭い爪を備えている。
大人びた印象を受ける整った顔の上方、やや薄い茶色がかった長髪の間からはネコ科特有の三角ばった獣耳が覗き、極めつけは臀部の辺りから細く長い尻尾を生やしている。
そう。彼女は人間ではなく、「人虎」と呼ばれる虎の特徴を備えた獣人の一人だ。そんな彼女は真剣な顔をふっと崩すと、優しげな声で少年に語りかけた。
「……うん、かなり良いぞ少年。教えた所まではほとんど完璧だな」
「本当ですか、ラン師匠っ!?」
その言葉に、少年の纏っている雰囲気も先程までの研ぎ澄まされたような雰囲気が薄れ、年相応の少年のような雰囲気が顔を覗かせた。
この少年、名をルウという。偉大な拳士となる事を夢見る彼は、数えで六つになる時に三人の魔物達が住み着いていたこの武術寺の門を叩き、以来、彼女達に師事しながら修行の日々を送っているのだ。
「ああ。理想形までは四割程度といった所か。動きはまだまだ硬いが、大分形になってきている」
「え、え?四割……ですか……?」
少年が続いた言葉に肩を落とす。そんな少年の分かり易い反応に、人虎は苦笑を浮かべながらその大きな手で少年の頭を撫でた。
「はは、そんなに焦るな。その年齢でそれだけ出来ていれば立派なものだ。……焦らなくても、少年はいつか立派な拳士になるさ。師匠の私が保証する」
「っ、はいっ!ありがとうございますっ!」
自分の言葉に素直に一喜一憂する少年のさらさらとした髪を撫でながら、ランと呼ばれた人虎は弟子に穏やかな笑みを向ける。
全く、型や鍛錬に打ち込む際の集中した様子といったら歴戦の猛者も顔負けだというのに、こうして喜んでいる姿を見ると年頃の無邪気な少年そのものだ。
二人がそうして先程の型の改善点などを話し込んでいると、やや離れた位置――寺の玄関先から、大きな声が聞こえてきた。
「ラン、そろそろ私の番よ!」
「む、もうそんな時間か、リン」
二人がそちらに視線を向ければ、そこにはルウと変わらぬような背丈の女性が一人。遠目
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