散花

――人の体は、余りにも脆い。

「どうした、行綱。早く立て」
「っ、……しかし、父上、う、うでが……!!」
「知っている。今、私が折ったのだから」

まだ幼い少年は取り落した木刀を拾う事も出来ず、額に脂汗を滲ませて叩き折られた腕を抑えている。それを見下ろす父親の目は、あまりにも冷たく。構えた木刀を下ろす事すらなく、我が子へと歩を進める。
少年は後ろにずり下がりながら、実の親に向かって命乞いをするように、折れていない側の腕を突き出し――

「っ、待って――」
「胴が空いたな」

めきめきっ。

無造作に父の木刀が振るわれ、数本のアバラが折れる音と共に少年の体は木の葉のように吹き飛んだ。床の上を数度跳ね、ごろごろと転がり……壁に打ち付けられて、ようやく勢いが止まる。
少年は、もはや半ば白目を剥き。言葉にならないうめき声を上げながら、細かな痙攣を繰り返している。

「立て」

そんな息子の姿を見ても、父親が発した言葉は、それだけだった。
その様子を正座して見守っていた少年の姉が、震える声を絞り出す。

「お、お父上、もうやめ――」
「舞、お前は口を挟むな」

一瞥。それだけで少年の姉は完全に動けなくなった。
その眼光の威圧感に体は硬直し、肺は満足に空気を取り込まず、言葉を発する事さえできなくなる。

「人の体は、余りにも脆い。こんな玩具で叩かれた程度で、壊れてしまう程に」

彼らの父親は、まだ構えを解かない。

「だが、我が安恒家は主の刀でなければならない」

ならばどうするか。

答えは簡単だ。鍛えるのだ。刀を鍛えるように、何度も何度も叩き、以前よりも強く完治すればまた叩き。戦場に耐えうるようになるまでそれを繰り返せばいい。
それを行う父の目に、躊躇いの色はない。むしろ、己の子の体を戦場に適応させようとする行為に、彼は微かな高揚すら感じていた。
ヴィントが行綱の骨格を想定外と感じたのも無理はない。前時代ならば兎も角、人間を愛する魔物娘となった彼女らが、なぜ考え付くことができるだろうか。

我が子を壊し、回復を繰り替えさせる事で強化するなどいう鍛錬が行われていた事を。

「ぁ、ぁあぁぁぁぁ……!」

父が未だ歩みを止めない事に気がついた少年が、必死に逃げ出そうと板張りの床の上でもがく。

「行綱。痛みを恐れるな。感情を捨てろ。それは刀には不要な物だ」

痛みを恐れる心など、戦場では弱点にしかならない。だから刀に感情はいらない。己の全てを賭けても守りたいと思える主さえ居れば、考える必要すらない。
必要なのは純然たる強さと、それを動かす命令のみ。

「…………っ」

ふざけるな。もうこの国では戦なんか殆ど起こらない。妖怪達も、そのほぼ全てが人間と平和に暮らせるようになった。だったら、殺し合いしか出来ない自分たちが仕える場所なんて、もうないじゃないか。だから、この家は没落してるんじゃないか。
他の武家のようにその技を広く世に広め、精神修行の手段として提供する訳でもなく!みっともなく世界に取り残され、こんな狂った事を続けているだけじゃないか!

少年の心の叫びは、歩み寄ってくる彼の父親には聞こえない。
上段に木刀を構えた父親の影が、少年の上へと落ちる。

「そうなれば、お前も『散花』へと至る事が出来るだろう。その手助けは、私がしてやる」

我が子が、いずれ仕えるべき主を見つけた時。その役目を全うできる事を願って。

――その木刀は、純然たる息子への愛情で振り下ろされた。





――――――――――――――――――――





「はっ!はぁぁっ!!」

その踏み込みはまるで爆発。描く剣閃はまるで稲妻。行綱は恐ろしい速度で繰り出される勇者の剣技を、和槍の中程を持ち、遠心力の乗った穂先と石突で払うようにして攻撃をいなす。
超高速の剣技と、それを長大な武器を用いて防ぐ繊細な技術。二人の戦いは、まるで舞踏の一種であるかのようにすら見える美しさを持っていた。

「……っ!」

もっとも、当人である行綱の心境は優雅な物とは程遠い。相手よりも大物の武器を使い、それに遠心力と鎧の重量を乗せてようやく剣戟が成立しているのだ。……いや、そこまでして辛うじて攻撃を防ぐことが出来ている、と言った方が正しいか。こちらからは反撃に転ずるチャンスを見いだすことができないのだから。
互いの武器が接触する度に手に伝わる痺れは、この勇者の太刀筋をまともに受けてはいけないという警告を発している。おそらくまともに受けた瞬間、良くて防御の上から弾き飛ばされ……悪ければ、受けた槍ごと身体を真っ二つにされてしまうだろう。
ならば。行綱は考える。
まともに打ち合っても勝てない相手は、魔界に来てから何人も出会った。クロエやほむら……彼女達に通じた、彼女達が封じようとした自分の戦法は何だ
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