轟轟と降る雨は止む気配がない。
周囲で最も大きい木陰に身を寄せるも、森の中にあって尚叩きつけるような横風のせいで僅かばかりの雨を凌ぐことすら叶わない。
――人は必ず、何か役目をもって生まれてくる。意味のない命なんてない。
僕はこの言葉が大嫌いだ。
それが間違っているだなんて思った事はない。むしろ、この世の真理だとすら思う。
だからこの言葉が大嫌いだ。
慈愛に満ちた顔で、諭すようにそれを口にする人を見るたび、僕は吐き気を伴うような絶望に襲われてきた。
その役目が、神に祝福され、世界を救う勇者ならばいいだろう。
その役目が大地を耕し、その恵みを多くの人に分け与える事ならば、なんて立派な事だろう。
その役目が詩や物語を紡ぎ、大衆の心を揺さぶる事ならば、なんと素晴らしい事だろう。
その役目が――
「ぁ……ぁ、ぁ……」
他人に飼われ、ただ搾取される事だったならば――どうすればよかったのだろう。
噛み合わない歯の根がガチガチと音を鳴らす。木の幹に背中を預け、寒さと疲労と空腹で震えの止まらない自分の体を抱きしめる。
死にそうな寒さには慣れていた。そんな疲労も、空腹も、経験済みだった。だからこそはっきりと分かることがあった。
これは、そんなものを超えている。
僕は、ここで死ぬ。
身体の機能を奪っていた体温の低下は、やがて思考にまでその手を伸ばし始めた。
「さむい」の三文字を狂ったように唱え続けていた脳内は、薄いもやがかかるように真っ白に塗りつぶされてゆく。
かすみ始めた視界の中、不意に、目の前の草むらが、ガサッ、と大きく揺れた。
その音の主は草むらを抜け、僕の方へとゆっくりと移動しているのが分かった。近くに落ちた稲光が、もはや顔を上げる気力すらない僕に、音の主の体長をシルエットで知らせてくれる。
――大きい。肉食の獣だろうか。
僕は、自分の亡骸さえ他者の好きにされねばならないのだろうか。
――もし、生まれ変われるとしたら……
それを考えようとして、死ぬ直前までそんな空想の中でしか自分に関する選択が出来なかった、たった十数年の自分の人生が、あんまりにも救いの無いものに思えて、それが何故だか分からないけれど少しだけ可笑しくて――そして僕は意識を失った。
――――――――――――――――――――
寒風が吹き込んでくる、半ば崩れ掛けの掘っ立て小屋の片隅。とても冬の寒さを凌ぐには足りない薄布の中で、少年――アルは目を覚ました。
「はぁっ、はぁ……っ」
生命の維持が可能な限界まで下がっていた体温を取り戻そうと、心拍数が急な上昇を起こし、胸に不快極まりない痛みが走る。それを必死に堪えながら、感覚のない黒ずんだ指先に息を吹きかけ、東方の地で神に祈る時にそうするように両手を擦り合わせる。
やがて感覚のなかった両手の先に、刺すような痛みが宿り始めたのを確認した僕は、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かった、今日も腐ってない……」
軋む体をゆっくりと解しながら、寝具というにはあまりに粗末な布切れから這い出る。
何時終わるともしれない、いつも通りの朝だった。
立て付けの悪い引き戸を開け、強い風に体を震わせながら母屋へと向かう。
母屋の鍵を開け、一歩足を家に入れると、火が燃え盛る暖炉とその向かいにある椅子に酒瓶片手に腰掛け、いびきをかいている大柄な男性が目に入った。
「旦那様、朝ですよ」
暖炉から伝わる熱気が如何に自分の身体が冷えていたかを思い知らされる。が、僕がその火の前で休むことは許されていない。暖炉の薪から少し火の勢いが衰えているものを一つ火箸で掴み、鉄の桶に入れて厨房へと向かう。
それを備え付けの薪と共にかまどの中へと入れ、息を吹き込む。徐々に火が燃え移り、大きくなってくると僕はしばし動きを止め、普段の生活の中で唯一、ゆっくりと近くに居ることが許されている火で体を温めた。
できる事ならば、いつまでもそのままゆっくりしたいという欲望に駆られながらも、かまどの火にフライパンをかけ、油をひく。
――アルの境遇を一言で言うと、奴隷である。
アルの両親は何か商売で大きな失敗をし、多額の借金を背負ったらしい。そしてその借金を帳消しにする為の対価が、夫婦の一人息子であった僕を奴隷として買い取る事であったそうだ。
らしい、ようだ、とイマイチ細部がはっきりしないのは、全てがアルがまだ物心着く前の出来事だったからだ。記憶がはっきりとする頃には、既にアルは人里離れたこの家にいて、唯一の奴隷として働いていた。
じゅうじゅうと目玉焼きをフライパンの中で踊らせていると、目を覚ましたらしい先ほど暖炉の前で寝ていた男が厨房に顔を覗かせた。
「おい、朝食が終わったら、少し話がある。飯を食う前に俺の所に来い」
この熊のような大柄な男が、アルを買い取った―
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