鰻の看病

「…。」

これまで嫌になるほど聞いてきた携帯電話のアラーム音で僕は目覚め、すぐに大きなため息をついた。
大学を卒業し、仕事に就くこともできて、さぁこれから社会人としてのスタートを切ろうと意気込み早数年が経過した。今現在、僕の現状は「最悪」の二文字で説明がつくだろう。


仕事先の訳も分からぬ規範の所為で誰よりも早く出勤しなければならず、仕事先に到着してからも何の恨みか大量の仕事を回され、休憩時間中は気の抜けないピリピリと張り詰めた空気の中で味のしない即席のものを腹に詰め込み、仕事中に上司からの理不尽な説教で自分の心を削りながら下げたくもない頭を下げ、そのような事に時間を割いていく内に自分の仕事は溜まりに溜まっていき、結局は残業をして自分の仕事を処理していく。
そして仕事の処理が終わる頃にはもう既に日が過ぎている。そのまま終電に揺られ、寝床へ帰りそのまま眠る。今までこのような生活をしてきてよく体が壊れなかったなと自分でも感心している。しかし、最近になって限界を感じ始めている。


今まで度々あった左わき腹の痛みが日ごとに増してきているのだ。今までなら薬や栄養ドリンクを飲めばどうにかなっていたが、今はまるで効果が無く、むしろ悪化してきている。
それに加えて目まいや吐き気、頭痛といった症状も出てきている。今僕はベッドで身体を寝かせている状態であるが、左わき腹は痛み、頭痛もしていた。しかし仕事先にとってはこの程度は体調不良には入らないようなので、今日も出勤しなければならない。


言う事を聞かない体に鞭を打って、身体をベッドから起こす。体を起こした時、ふと部屋においてある鏡に映った自分の姿を見た。


肌は生気を失くしたように青白くなり、頬は痩せこけ、覇気が宿っていない目の下には墨汁を塗ったかのように黒い隈ができている。
髪はボサボサで艶を失っており、寝起きだからか変な癖ができていた。そんなやつれた自分の姿を見て、僕は大学生時代に仲の良い友達と集まって観たホラー映画に出てくる怪物がこのような姿だったなと思い出してしまう。
毎日が楽しく輝いていた大学生時代と今の自分を比べ、僕は憂鬱な気持ちになりながら、軽く身だしなみを整えて家を出た。


家を出てしばらく歩き、電車に揺られ、駅を降りた途端むせかえるような暑さが僕の満身創痍の身体を襲った。
人込みの流れに押される度に目まいと吐き気に襲われ、次第に視界も歪み始め自分の見えている世界がぐるぐると周り始める。
途端に猛烈な吐き気に襲われて僕は立っていられなくなってしまった。流石に人込みの中で倒れるわけにはいかない為、猛烈な吐き気に耐えながら重い身体を引きずり、なんとか僕は人込みを脱出する。

人込みから脱した途端僕はついにその場にしゃがみこんでしまった。自分の動きを止めた途端に、今度はこれまで体感した事のない悪寒が全身を襲った。寒いはずなのに全身から汗が吹き出し、寒気から四肢が震え、更に襲ってくる脇腹の痛みや吐き気、頭痛が余計に僕を苦しめた。
得体のしれない自分の液体がもう既に喉までせりあがってきているが、僕は荒い息をつきながら寸での所で耐えていた。この状態では出勤は出来ない。そう僕は考え、震える手を何とか制御しポケットに入っている携帯電話を取り出し、仕事先へ電話を掛けようとした。その時、ふと僕の頭上から声が聞こえた。

「大丈夫ですか?ひどく震えておりますが…。」

その声に驚きふと顔を上げると、薄紫色の着物を着た艶のある黒髪の美しい女性が目の前に立っていた。彼女を見た瞬間、僕は幻覚を見ているのではと思った。それほどまでにこの着物を着た女性は現世離れした美しさを持っていた。光を反射し、わずかながら七色の光沢を放つ美しい黒髪、シミや毛穴一つないきめ細やかな白い肌、慈悲深さを感じる垂れ目、寒天のような艶を持つ唇、すっきりと整った鼻、そして目の下に付いた泣き黒子。
このような絶世の美女に今まで出会ったこともなかった僕は一瞬だが頭痛や吐き気を忘れ彼女を見てしまっていた。

ずっと見続けるのはいけないと考え、目を逸らした途端、再び地獄の苦しみが舞い戻ってきた。たまらず目の前の女性に助けを求めて僕は手を伸ばした。そして声になっていない声で僕は「助けて」と彼女に訴えた。彼女に助けを訴えた途端に僕はその場で倒れ、朦朧とした意識の中で彼女の顔を見ながら目を閉じ、意識を手放した。




気が付けば僕は見覚えの無い六畳程の和室で横になっていた。床には畳が敷かれており、出入り口は趣を感じる襖であった。

今僕の額には氷と冷水が均等に入った氷のうが当てられており、枕もひんやりとした氷枕が使われていた。僕が今横になっている敷布団と体に掛けられている掛け布団は非常に良い手触りで撫でる度にするすると心地よい音を立てて滑
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