三話 実験台な勇者様

「我が魔力にて現れ出でよ、それは我がため、汝がため」
 石造りで出来た頑丈そうな広い部屋に幼い少女の声が響き渡る。
「我が汝に望む使命は、汝にもまた益をもたらすだろう」
 継ぎ目のほとんど見られない、良く舗装された床には、
 文字のようにも見える、複雑な幾何学模様が円状描かれていた。

「出よ、出よ、出でよ、その暁に『力』と『贄』を与えてやろう」
 床の模様が、少女の声に呼応するかのように光を放ち始め、
 そして光の中から、黒い影が蠢きながら湧き出てくる。

「ククク、よう来た、よう来た、さあ、まずは『力』を受け取るが良い」
 その一言と共に、床の光から赤い粒子が浮かび上がり、影にまとわり付いていく。
 粒子は影に呑み込まれるように消えていき、影はそれに歓喜するように体を震わせる。
 やがて全ての粒子が吸収されると、それを生み出していた模様も光を失っていき、
 部屋が完全に暗くなるころには模様すら消えてただの床に戻ってしまった。

「これで良し……あやつの反応が楽しみじゃ、クックック、ハーハッハッハ」
 少女の高らかな笑い声と何かが蠢く音だけが、
 光の消えた部屋に響き渡るのだった。










 ……足音が聞こえてくる、二人いるようだ。
 それでもやらなければならない、一刻も早くここを出て、
 邪悪な存在である魔物共を滅ぼさなければならないのだから。

 音か近くなってくる、壁に張り付き、タイミングを見計らう、
 手にはガラス瓶、こんなものでも無いよりましだ。
 音が止まる、瓶を強く握り締める、ドアノブがゆっくりと回る。
 開いたドアから現れた人影の頭に、横合いからガラス瓶を振り下ろ―

「危ないのう」

 コトン

 手ごたえ無く振り下ろされたガラス瓶には持ち手の部分しか残らず、
 その先の部分は柔らかいカーペットの床に落ちて割れずに硬質な音を立てる。
 ガラス瓶を二つに分けた、カーペットよりも柔らかそうな毛に包まれた手からは、
 黒いオーラが生み出され、私の喉元に突きつけられている。

「元気があるのは結構じゃがな、そのようにおてんばだと嫁の貰い手が無くなるぞ」
 バフォメット、魔物の中でも上位の存在と言われている存在だが、
 目の前にいるそれは一見人間の少女と代わりが無いように見える。
 しかし、彼女の四肢に生える毛、そして尻尾と角が、
 彼女を人外の生き物である魔物だと言うことを知らしめている。

「まったく、いい加減わしらに対する認識を改めてもらえんものか」
 バフォメットは呆れた表情を浮かべながら魔力の刃を引っ込める。

 ……最初はこんな子供の魔物がそのような強大な力を持つ存在とは、
 話には聞いていてもそれこそ認識しがたかったが、噂通りの圧倒的な魔力と、
 何よりその魔力で作り出した闇の刃を直接自分の手にまとわせて、
 剣のように扱い戦う姿は、この地にサバトを起こしたとされるバフォメットの異名、
 『ブラックソード』と呼ばれるにふさわしいものだった。

「だまれ! あんな戯言を信じるわけが無いだろう!」
 曰く、今の魔物はもう人間を喰らったりはせず、友好を求めているとか、
 全ての魔物は女性体になっていて、人間を伴侶としているのだとか、
 そんな嘘を何食わぬ顔で、本当に真実であるかのように語って見せたのだ。

 ……馬鹿馬鹿しい話だ、ずいぶんと真摯な様子の演技をしてくれたり、
 出入りの自由こそ無いが過分な部屋と食事を与えられたりしたが、
 主神様の教えに反する戯言に騙されたりはしないのだ。
 そうだ……きっと騙されてしまっただけなのだ、絶対に、絶対に許せない!

「とまあ、こんな具合に聞く耳をもってくれなくてのう、サニー…………サニー?」
 不意に誰かを呼ぶバフォメット、そういえば気配は二人だったはずだが姿が無い。
 開けっ放しのドアから廊下を覗くバフォメットに釣られ視線をそちらに向けると……

「あわわ……あわわわわ……」
 少女が一人、廊下に尻餅をついてへたり込んでいた。
 おそらく被っていたのだろう特徴的な三角帽は床に落ち、
 短すぎるスカートは見事にまくれあがって隠されるべき白い布地を覗かせている。
 姿は普通の人間のように見えるが、ここにいる以上はやはり魔物なのだろう。

「何をやっておるんじゃ、しっかりせんかサニー」
「す、すみませんリコ様、その、びっくりしてしまいまして」
 倒れた少女を助け起こすバフォメット、彼女らの可愛らしい容姿、
 悪意を感じない言動、その全てが、全てが演技なのだ。
 やはり魔物は恐ろしい、それを知っていてなお、騙されそうになってしまうのだ。

「さてさて、名前も教えてくれぬ勇者殿よ、わしは誠心誠意、我ら魔物娘の現状を説いてきたが、おぬしは一向に心を開いてくれぬ」
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