角田団時朗が仕事を終えて帰宅すると、決まって外壁に数頭の蛾が止まっている。
それだけならば、ただの日常的な光景に過ぎない。しかし、いつ見ても同じ模様の翅を持つ蛾が一頭いるとなれば、中々に奇妙な話だ。
全体的に紫立っており、翅には目のように見える模様がある。
しかしながら、昆虫愛好家でも何でもない団時朗にとって、蛾が止まっていようと、それが新種だろうと、取り立てて気にすることではなかった。
依然として、壁には数頭のぱっとしない蛾と紫立った蛾が止まっていた。
◆
きづいたら、あなただけ。
あったかくて、ぽかぽか。
ぱたぱた、ぱたぱた。
◆
団時朗が友人である上野忠を自宅に招いた時のことだった。
つまみを口にしながら、上野は切り出した。
「なあ団ちゃん、こんな話知ってる?」
曰く、最近日本各地で身寄りのない人間が行方不明になっているらしい。
上は独り身の老人、下は孤児であったりと様々であるが、皆一様に男性であるという共通点が存在する。
そういえば、新聞でも連日大きく取り上げられているなと、団時朗は思い出した。
「しかし、結構大事になってきている割には、何の進展もないのかい」
「そうみたいだねぇ。ただ、この前ニュースで言ってたんだけど、皆消える前に女性と会ってるらしいね」
「同一人物?」
「いや、全部違うんだと。淑やかそうな女性だったとか、小さな女の子だったとか、まさしく絶世の美女という風だったとか、いろいろあるみたいだけど」
しかしそれだけ。行方不明者はおろか、その女性たちの足取りも掴めていない。
まさに八方塞がりで、事件は迷宮入り確実との噂もある。
「しかし、身寄りがないという条件だと、私も当てはまってしまうな」
「そういやそうだ。気をつけなよ、君だけは狙われないとは限らないんだから」
団時朗の両親は既に亡くなっていて、伴侶もいない。
出会う機会がなかったわけではない。ただ、団時朗の容貌を好く女がいなかったというだけだ。
経験もなく、独り寂しく自慰に耽る日々も今は昔。気力はとうに尽き、既に歳も五十を過ぎた。
今は、年来の親友とたまに酒を酌み交わすことだけが、団時朗の唯一の楽しみであった。
◆
なんだか、からだおっきい。
あっちが、おっきくて、あったかくて、ぴかぴかしてる。
きもちよさそう。
ぱたぱた、ぱたぱた。
◆
団時朗がいつものように帰宅した時、ふっと壁の方を見ると、いつもと違った光景が広がっていた。
あの紫立った蛾がいないのである。
いたところでどうかするわけでもないが、いないと何となく違和感がある。
代わり映えしない団時朗の人生の中で、そう感じるほどには、あの蛾が心を占めていたのかもしれない。
残念に思う気持ちを押し殺し、彼は家の中へと入っていった。
あの特徴的な蛾がいなくなって以来、団時朗の周囲では時々奇妙なことが起こっていた。
主に帰宅する夜の時間帯、最寄りの駅から自宅までの道中で、必ずと言っていいほど何かが羽ばたく音が聞こえる。
辺りを見回してもそれらしいものは見当たらず、影も形もない。
また、この近辺に住む若い夫婦たちの間に、とても目出度い出来事が頻発したが、彼らが住む家には決まって粉のようなものが降りかかっていたらしい。
団時朗も最初は形容しがたい一抹の不安を感じたが、段々と薄らいで、気にしなくなっていった。
◆
みつけた。
おいしそうで、とってもあかるい。
たべちゃおう。
◆
仕事に時間が掛かり、団時朗が疲労困憊で帰宅すると、玄関前に誰か女性のような影が見えた。
しっかりと確認した時、有り体に言って、何の冗談だと団時朗は思った。
櫛のような触覚と昆虫を想起させる目のようなものが頭部にあり、背中には2対の紫色の翅が生えている。翅には目と、そしてハートのような模様もあるのが確認できた。
身体は毛のようなものに覆われているが、かなり局所的であり、非常に扇情的だ。
コスプレなどではないことが一目でわかるほどに生々しい。
団時朗は思わず見惚れてしまっていたが、直後、その生々しさに恐怖すら覚えた。
明らかに人ではないことがわかり、その場から動けずにいると、女は団時朗に気づき、近づいてきた。
「あー、にんげんさんだー」
とても甘ったるい声だった。団時朗は脳みそがとろけていくような錯覚すら覚えた。
「おひさしぶりー、ずぅっとあいたかったのー」
久しぶり、ずっと会いたかった、と言われても、団時朗には何のことかさっぱりだった。
しかし、紫色の翅などを見ていると、ふとあの特徴的な蛾のことを団時朗は思い出した。
「もしや、そこの壁にいた蛾が
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