Mr.スマイリーは低い呻き声を上げ、肩に担いだ少年を殆ど振り落とすような形で砂の上に降ろした。
「コレール、まさか本当にーー」
「もしそうだったら辻褄が合うと思って、鎌をかけたんだ。……思い違いであってほしかったけど」
クリスとコレールが話している間にも、Mr.スマイリーの体に起きた異変が収まることはなかった。
肉体のみならず骨格そのものが変形していくその姿は、怪人の体内から巨大で大量のミミズの様な生き物が皮膚を突き破って外界に脱出しようとしているかのようだった。それだけではなく、身に纏っていた漆黒のコートと帽子が煮えたぎっているかのように泡立っている。
やがて激しく息を吐きながらその場で跪くと、一瞬だけ体全体が真っ黒な影に包まれる。次の瞬間には影は消え失せ、蝋化した死体の様な白い肌は血色の良い肌色へと変わり、コートと帽子も何処かに溶けて流れていったかの様に無くなっていた。
コレール達は目の前で起こった異形の怪人から顔見知りの青年ーードミノ=ティッツアーノへの変貌の一部始終を、愕然とした表情で見届けたのだった。
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ドミノ=ティッツアーノはウィルザードの一領地の貧民街(スラム)で商売をしていた、一人の娼婦の子供として生を受けた。
ドミノの母親はどこの種とも分からない子供に愛情を感じることはなく、仕事の邪魔でしかないと考え、息子に対して日常的に虐待を行っていた。
ドミノは他の虐待を受けた子供の多くがそう考えるのと同様に、暴力を振るうことこそが強い人間であることの証明であると考えるようになった。
自分の考えが及ぶ範囲内で、最も確実に暴力の使い方を学ぶことが出来る組織とは、軍隊である。12歳になる頃、ドミノは日々の汚い仕事の中でコツコツ貯めた金を投げ打って軍学校に入学した。
軍での訓練は過酷であったが、それに輪を掛けて過酷だったのは先輩兵士からの「歓迎」という名の暴力だった。
それらは新人の兵士に対して毎年のように行われていたものであり、特にドミノだけが標的とされたものではなかった。しかし、ここに来てドミノが物心ついた時から溜めてきた、弱者に対する理不尽な暴力への鬱憤が爆発した。ドミノは日常的に新人虐めに対して真っ向から反抗し、同期の兵士が標的になったときは身を挺して庇うようになった。ドミノの体の傷は、増えていく一方だった。
その夜は豪雨だった。ドミノは四人の年上の兵士によって、カビ臭い武器庫の中に追い立てられていた。
きっかけは、目の前で給食にゴキブリの死骸を投入されたドミノが、そのゴキブリ入りの皿を張本人である先輩兵士の顔面に投げつけたことだった。
今回ばかりは助かりそうに無いと悟ったとき、少年の頭の中から、滲み出てくるようにして声が聞こえてきた。
(『大丈夫だドミノ……ここは私に任せて休むんだ……』)
最初は極限の恐怖の中でとうとう気が触れたのではないかと考えたが、何者かの囁き声は、幻聴にしては意味を成しており、何より安心できるものだった。
(「アンタは誰なんだ。何処から俺に話しかけていんだ」)
(『私は、君だ……。詳しいことはすべてが終わってから説明しよう……。今はとにかく体を休めるんだ……』)
頭の中の声が途切れた瞬間、ドミノは強烈な眠気に襲われ、そのまま糸の切れた操り人形の様にその場に倒れ伏すと、彼の意識は心地よい暗闇の中へと沈んでいった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。鼻腔を突き刺す血と排泄物の臭いによって、ドミノの意識は覚醒した。慌てて自分の体の状態を確かめるが、臭いの発生源は自分ではなかった。
いつの間にか置かれていた火のついた蝋燭に、ぼんやりと照らされている物体があった。微かに動いて、雨音にかき消されそうな程の小さな呻き声を発している。目を凝らしてそれが何なのか確かめた瞬間、ドミノは言葉を失った。
ついさっきまで武器庫の扉をこじ開けようとしていた先輩兵士の、無惨な死体がそこにあった。正確に言うとまだ息はあるのだが、この状態では大した違いはないだろう。
髪の毛は頭皮ごとむしり取られ、手足の爪は殆ど剥がされている。身体中が何かに食い千切られたような傷跡に覆われており、眼球や 睾丸など、人体において潰れそうなものは大体潰されているようだった。残りの三人も似たり寄ったりの惨状であり、こちらは既に息絶えていた。
(『良い眺めだろう? 君のためにやってみたんだ』)
頭の中に、再びあの正体不明の声が響く。
(「やりすぎじゃないか……?」)
(『やりすぎ? まだ息のあるこいつの声を聞いてみろ』)
ドミノは言われた通りに、まだかろうじて命を繋ぎ止めている先輩兵士
の口元に耳を近付けた。
「……ごめんなざい……助けで……死にだくない……」
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