第29話「反知性主義」

「二人共部屋を出てくれ。彼女と二人きりで話したい」

カナリの予想に反してムストフィルは取り乱すこともなく、私兵に二人共部屋から出るように告げてから机の前の椅子に腰かける。

「それで? 何を根拠に私を告発するつもりなのだ、アヌビスの娘よ」

「この手紙だ」

カナリはヴィンセントがバトリークのアジトで手に入れた書簡を懐から取り出した。

「この手紙の中に全てが書かれていたよ。貴方はハースハートを訪れて間もなくバトリークと接触して、奴に秘密裏の援助を繰り返していた。炊き出しの食事に頭の働きを鈍らせるシロップを混ぜたのも、中央図書館の焚書を指示したのも、全部貴方だった」

「……」

「この手紙を領主様に渡す前に聞きたいことがある……どうしてこんなことをしたんだ!?」

ムストフィルは無言のまま腰を上げると、荷物をまとめていた時と同じように部屋の窓から民衆の営みを見下ろした。

「娘よ。寄生虫の生態には詳しいか?」

「……何の話?」

眉を潜めるカナリをよそに、ムストフィルは言葉を続ける。

「寄生虫というのはその種によって、どの生物を宿主にするのかということが決まっているらしい。故に、本来とは異なる宿主の体に入り込んでしまった寄生虫は、勝手が分からずに宿主の体内を食い荒らし、最後には宿主を道連れにする形で死んでしまうそうだ」

「博識だね。でもそれがいったいなんの関係がーー」

「ウィルザードと言う国とお前たち魔物娘の関係が、正にそういうものだということだ」

カナリの方を振り返ったムストフィルの目には、嫌悪と侮蔑の感情が浮かんでいた。

「お前たち魔物娘は性別や思想、身分や貧富に関係なく人間に手を差しのべ、飢えや病、老いという苦悩から解放している。生活に余裕が出来た民衆は、やがて時間を芸術や哲学を始めとする教養に当てるようになるだろう。お前が図書館の設立を領主に働きかけたのも、そのような動きを助長するためだったのだろう?」

「……その通りだよ。でも、貴方の話の筋が理解できない。どうして僕たち魔物娘がウィルザードを食い荒らす寄生虫なのさ?」

「まだ分からないのか! 教養という武器を手に入れた民衆は『権利』という言葉を建前に、ことあるごとに支配層に牙を向けるようになる! 現にここハースハートでは労働者たちの反乱によって、多くの資産家や役人が失墜していった! 革命が起こるまでハースハートが皇族に納める上納金は国内でも1、2を争う額であったにも関わらずだ!」

もはやムストフィルの態度には当初の冷静さは消え失せ、口角泡を飛ばすと表現するにふさわしい勢いである。

「だからこそ私はハースハートを訪れたのだ! 民衆に己の身の程というものを分からせるために! そして、あの革命のような事態が他国に飛び火し、ウィルザード全体が衆愚という名の病に冒され、ゆっくりと死んでいくのを防ぐためにだ!」

ヒートアップしていくムストフィルとは対照的に、彼を見つめるカナリの目はひたすらに冷ややかになっていくばかりだった。

「つまり、貴方は……人々が自立せず、愚かなままでいる方が国のためだと考えたということ? それでバトリークを使ってあのような真似を?」

「民を家畜扱いする王は嫌われるが、家畜としての生き方が常に不幸であるとは限らない」

少し落ち着きを取り戻したムストフィルが、自身の椅子に座り直しながらそう呟く。

「王には王の、民には民のあるべき姿というものがあるのだ……」

「はっきり言って、貴方はバトリーク以上に愚かな人間だよ、上皇」

カナリは感慨深そうにしているムストフィルにそう言い捨てると、踵を返して部屋から出ていこうとした。


「待ちたまえ。実は私とバトリークの間には、もう1つ別の取引があったのだ。聞きたくないか?」

カナリはドアノブに触れようとした手のひらの動きを止めた。ムストフィルの言う「別の取引」が気になったのではなく、部屋の様子がおかしいことに気がついたからだ。

「そもそもバトリークが使っていたあの教会……元は数百年以上も前に使われなくなって放棄されていたものを、連中が整備して拠点として使えるようにしたものだ」

窓硝子や小さなシャンデリアがカタカタと音を鳴らして震え、カーテンが激しくたなびいている。地震や強風の仕業ではないことは明らかだ。

「そこでバトリークはある物の封印を偶然解いてしまった。奴がそれを私に献上する意思を伝えたことも、私がわざわざハースハートまで足を運んだ理由の1つだった」

カナリは咄嗟に部屋から飛び出そうとしたが、体に力が入らない。その場でふらりと振り返るのがやっとである。

「あの男にはこの宝玉の扱い方が分からなかったようだ……いや、只単に秘められた力を恐れ、手放したかっただけかもしれないな!
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