ヴィンセント=マーロウの生まれは、ウィルザード西部に位置する小さな村である。
貧しい村故に生活は決して楽ではなかったが、美しい姉と心優しい両親との暮らしのなかで、ヴィンセント少年は聡明な人間へと育っていった。
しかし、長年村を治めてきた村長が亡くなり、彼の息子がその後を継いでから、ヴィンセントの人生に暗雲がたちこみ始める。
父親と違って傲慢な性格だったその男は、自身の立場を利用して、ヴィンセントの姉に強引に婚姻を迫るようになった。
村長の息子の要求は日に日に強引さを増していき、ヴィンセントが16の年のある夜、事件は起こった。
寝室でふと目を覚ましたヴィンセントは、居間の方が騒がしいことに気付いた。恐る恐る部屋のドアを開けて隙間から目を覗かせると、視界に姉を取り囲む複数人の男の姿が飛び込んできた。連中の足元には、縛り上げられた両親が転がされている。
「(奴ら、よってたかって姉さんを手籠めにする気だ)」
ヴィンセントは激怒したが、怒りに任せていきなり寝室から飛び出すようなことはしなかった。彼は頭に血が昇るほど逆に冷静な行動をとる人間だった。
ヴィンセントは寝室の花瓶を毛布で包むと、音を立てないように上から力をかけて割り、破片の中から一番鋭くて持ちやすいものを手に取った。
そのまま蛇のように寝室のドアから這い出し、興奮して周りが見えなくなっている村長の息子の背後に忍び寄る。
一瞬で村長の息子の喉は切り裂かれ、赤黒い鮮血が床を汚した。
男は白目を剥き、必死に喉元を押さえようとしながら床の上でのたうち回っていたが、血の海の中で動かなくなるのにそれほど時間はかからなかった。
扇動者の生々しい死に様の一部始終を見てしまった取り巻きたちは、悲鳴をあげて我先にと家の外へと飛び出していった。
正当防衛とはいえ、現在の村の長を有無を言わさず殺したことが村に知れたら、村八分は免れない。取り巻きの中には村の有力者の息子もいたため、その迫害は尚更酷いものとなるだろう。
ヴィンセントとその家族は、取り巻きたちが他の村人を連れて戻ってくる前に素早く荷物をまとめ、夜の闇に紛れて生まれ故郷である村を去っていった。
それから数年間、ヴィンセント達はウィルザード各地を転々としてなんとか生き延びてきた。しかし、排他的な人間の多いウィルザードでそのような生き方をするのは、キャラバンでもない限り難しく、加えてヴィンセントの姉は村での出来事が切っ掛けで精神を病んでいた。
だが、ここでマーロウ一家に好機が訪れた。
中央大陸からやってきた主神教団の一派が、皇帝から購入した土地を開拓するための労働者を、募集し始めたのだ。彼らはとにかく労働力を求めており、労働者の経歴をとやかく言うことはなかった。
ヴィンセントと彼の父は開拓に参加し、毎日懸命に働いた。教団は金払いも良く、マーロウ家は少しずつまとまった財産を積み立てていった。ウィルザードに神聖ステンド国が建国された時、ヴィンセントは28になっていた。この頃には、姉の精神状態も大分回復していた。
その幸運も、長続きはしなかった。神聖ステンド国の上層部が、奴隷制度を積極的に導入し始めた頃から、彼を取り巻く環境の雲行きが再び怪しくなってきた。
当時のウィルザードでは奴隷ビジネスは合法であり、ヴィンセントの家では奴隷の使役はしていなかったものの、ヴィンセントは特に彼らに対して哀れみを覚えるようなこともなかった。金持ちや権力者の支配下で奴隷たちが虐げられる光景は、彼にとって別に珍しいものでもなかったのだ。
「(俺一人が声をあげたところで、奴らが救われることもあるまい。それに、奴ら自身にも奴隷に堕ちた原因はあるに違いない)」
この後ヴィンセントの身に降りかかる災難は、このような傲慢ともとれる考えの報いだったのかもしれない。
その日、ステンド国の守護兵士として働いていたヴィンセントは、いつも以上に多いトラブルの対処に奔走していた。
何故か今日に限って奴隷が主人を刺しただの、バフォメットやドラゴンといった強力な魔物を目撃しただのといった報告が次々と舞い込んできたのだ。
その忙しさたるやヴィンセントの同僚達はおろか、当時の軍務大臣や魔物対策大臣といった、国の幹部まで現場に引きずり出されるほどだった。
そのような状況の中、突如として巨大な地響きが街の空気を震わし、それに続いて腹の底まで響くような怒号と悲鳴が彼らの耳を貫いた。
その時ヴィンセント達たちは、これらのトラブルが自分たちを陽動するための囮に過ぎないことに気がついた。
神聖ステンド国の象徴であり、教団の司祭や枢機卿、役人が業務及び生活を行う、巨大な白亜の城ーーホワイト・パレスが、邪悪な闇の結界に覆われていた。結界の周りには、
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