今は無き王国へ送る終止篇(カデンツァ)

「…ただの風邪のようですね。姫様、何も心配は要りませんよ」

「そうですか…コホッ…ありがとうございます」

「それでは私はこれで…何かあればまたお呼びください」

 ベッドに横たわっている女性の診察を終え、最終的な結果を告げた老医師は笑顔を向けると部屋を去っていく。
 医師の言葉が心に安心感を与えてくれているようで、このまま瞳を閉じてしまえばゆっくりと眠れてしまえそうだ。

「はぁ……私ったらなんて恥ずかしい……結婚式を終えたばかりだと言うのに風邪をひくだなんて…」

 ぶつぶつと呟きながらも布団を深く被り自分を皮肉るように蔑むのは心の弱さからだろうか。
 それとも病が彼女にそう語らせているのだろうか。
 それは本人にだってきっと分からないだろう。

「エレノア女王の名が聞いて…っケホッ…ゴホッ……寝てしまいましょう…」

 エレノア・リリウム・オーラノヴァ女王。
 それが彼女の名であり背負っている物の大きさを表すものでもあった。
 古くから続く、技術と文化の国、そしてそれらをまとめ上げてきた王家の末裔として。

「…………」

 布団に潜り込み、静かな部屋の中で心を落ち着かせていく。
 だがどうも心が落ち着いてくれそうもない。
 つい先日の出来事が、何度も頭の中に浮かんで離れようとしないのだ。

「……エド…」

 エレノアが呼ぶのは彼女の夫であるエドワード。
 そして頭の中から離れてくれないのもその男との出来事についての思い出だ。
 大勢の人々が見守る中で、彼が自分の指にそっと指輪を通して微笑む姿。
 何度でも頭の中であの微笑みが繰り返し思い出されて、今日にもなると彼の顔を見る度ににやけた顔が止まらなかった程だ。
 今でこそ風邪をうつさないようにと距離を置いてはいるが、本当ならこんな風邪など無視して一緒に愛し合いたい。
 気持ちばかりが逸って、どうにも身体を休められそうにない。

「………眠れない…」

 ドキドキした気持ちや幸せに満ちた思い出が、彼女をなかなか眠らせてはくれない。
 何度も頭を振って忘れようとはするものの、頭がフラフラするばかりでちっとも落ち着けそうにも無かった。

「………風に当たって落ち着きましょうか…」

 ゆっくりと布団から起き上がると、身体を冷やさないようにする為に掛けてあった上着を羽織って部屋を出る。
 床の冷たさも温かいスリッパがしっかりと遮断してくれている。
 寝室の窓は開くような構造をしておらず、見た目よりもずっと頑丈に出来ている。
 無理に開けようとしても意味が無いのは誰にだって分かる。
 風邪をひいていると言うのに風にあたろうと言うのもおかしな話だとは思うだろうが、気分転換には丁度いいと言う物。

「……? …あれは…」

 時間はもう9時を過ぎている。
 腕時計を身に着けるような習慣があるわけでも無いエレノアには正確な時間は分からない。
 ただ、廊下の明かりが消えている事から消灯時間が過ぎているのだろうと判断したという訳だ。
 そんな中でエレノアが気になったのは、寝室を出て廊下をずっと行った先にある広間の方だ。
 行き先に考えていたバルコニーよりさらに向こうの、上階にも下階にも続いている階段がある場所。
 チラッとだが、誰かが降りていくのが見えた。
 背格好までは分からなかったが、どうやらコートか、それともマントなのか、それらしいものを身に着けていたように思う。

「エド…でしょうか…?」

 気が付けばエレノアは、バルコニーではなくその人影の方へ向かっていた。
 仄かな月明かりが廊下の窓から差し込んできているので足元はよく見えている。
 だが、階段周りに窓は無い為、人影の消えた方向はあまりよく見えないのだ。

「入れ違いになっただけ…だとしたら、神様は悪戯がお好きなんですね…ふふっ…」

 廊下を更に歩いて行きながら小声で笑ったりしていると、階段広場に辿り着いた。
 ここから先は、別方向の廊下に続く扉か下へ降りる階段か上に上がる階段かの3つの行き先がある。
 どの方向も明かりはついておらず、既に使用人たちが明かりを消して回った後だと思われた。
 だが、耳を澄ますと微かに誰かが歩いている音が聞こえてくる。
 それはどうやら下から聞こえてくるようだ。
 たった今階段を降り切った所のようで急に足音が目立たなくなった。

「…? …それにしても一体どちらへ…?」

 彼がどこへ向かっているのかと考えている内に、エレノアは足音を追って階段をそっと降りていた。
 なるべく足音を立てないよう注意しながら階段を降りて行き、時間を掛けて下まで降りる。
 その頃にはもう既に足音の主は姿を消していてこれ以上は何かヒントを見つけでもしなければ追いかけられそうにない。

「どうしましょう……エドの行き
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