第一話 遥か東の幻の国(上)

強い夏の日差しの中、心地よい潮風と、穏やかな波の程よい揺れ。
街中の騒々しさから遠く離れた、波の音だけの静かな海の上。

・・・そんでもってまだ日が昇った直後の早朝。新しい生活に未だ馴染めず体には毎日の疲労が蓄積している。
この状況で眠くならない人間がいるものか。小さな船の上で大きくあくびをし、愚痴をこぼす。

「ふああぁぁぁ・・・。あー、ダメだ。俺やっぱ漁師とか向かんわ・・・眠い・・・ふあぁぁぁ・・・」

二度目の大きなあくびをつくと、今はせっせと網を海から引き上げている男が振りむき苦笑する。

「だから最初に結構大変な仕事だと言ったつもりだったんだが・・・、まぁ最初の内は慣れないだけもあるだろう」

口を動かしながらも、手の動きは止めない。真面目に働くその男、アキトをじっと眺め、思わずため息をつく。

港町ソルカイネ。この地区一帯でも最も栄え、最も強大な軍隊を持つ教団を中心とする街。
・・・と少し前なら言えたのだが、半年ほど前、街の中心に存在する大聖堂に魔物の軍勢が押し寄せ、たった一日で教団の威厳と権力を奪われた。
当時教団騎士の見習いだった自分はその事件をきっかけに職を失い、仕事を転々とした挙句今は漁師見習いをやっている。
目の前の男はそんな自分を弟子にしてくれた、この街の漁師のアキトという男である。

・・・反魔物勢力だったこの街も、今では街中で魔物を見ることも少なくなく、長年住んでいたかのように街人の生活に馴染んでいる。
いや、実際に魔物はヒトのフリをしてずっとこの街で生活をしていた者も多いようだ。現に目の前の男も教団強襲事件の前から魔物と同棲していたとか。
そんなことを考えていると、海の中に網の一部を持ってこちらに泳いでくる人影が見える。ヒトが水中では絶対に出せない速度で船の傍まで来ると、水しぶきを上げて水中から顔を出した。

「網の中にちゃんといっぱい魚入ってますね・・・今日も大量で・・・す・・・」

寝ぼけ眼で漁師の男に話かけるその横顔に思わず見とれてしまう。一見するとまだ少女のようで、だが同時に大人の魅力を持った美しい顔立ち。ヒトならざるものの魅力と知りながらも、つい目を奪われてしまう。
海に棲むとされている魔物、ネレイス。ヒト種にとっての敵であるはずの魔物が、ごく普通にヒトと会話をしている。
最近は少しずつ見なれてきてはいるが、やはり自分にとっては非常に奇妙な光景だった。

アキトの連れらしいその魔物は、沈んでしまわないかと心配になるほどに力なく報告をすると、手に持っていた網の一部をアキトに渡す。この魔物も夜明けに起きるこの生活には不慣れらしい。

「おいお前まで海の上で寝るな・・・網に絡まって魚と一緒に引き上げられました、なんて笑い話、もう何回やったか分からないからな・・・」
「うー・・・じゃあご褒美くださいー。ほらー、ご褒美のちゅーうー」
「な・・・お前そんな人前でな・・・」
「いーやーでーすー、ほら早くしないと寝ちゃいますよーう」
「どんな脅し方だそれは・・・ったく、仕方ないな」
「・・・んっ、きゃうっ!これでもうちょっと起きてられます!えへへへ」

そんな目の前で起こる、見てるこっちが恥ずかしくなりそうな激甘なやりとりを半目で見届けると、口から糖分を吐きだすように盛大にため息をつく。
ヒト種が魔物に骨抜きにされるとは何とも情けない。教団の教えを叩き込まれた自分にとってはそのやりとりは羨ましい、と言うよりも不誠実な行為にしか見えなかった。

「おーいお二方ー、人の前で夫婦円満なのを見せつけるのよりも、早く終わらせて帰りましょうや・・・。俺はとっとと家に帰ってゴロゴロしてたいんだ・・・」

そうぼやいてみると、アキトは顔を真っ赤にして「すまん」とか言って慌てて作業を再開し、魔物は嬉しそうに海の中へ潜って行った。
何とも情けない光景・・・、俺は絶対に魔物なんかと一緒になるものか。ヒト種の誇りを見せてやる。そう心の中で決心を固める。

だが何分飽き性で自堕落な自分は大体決意を固めても途中で折れる。
この時の決意も、数日と持たない決意だったと、後になってみれば思うのだった―――



―――『キアラ=マルトス』
騎士を目指し、ソルカイネの街で育ったその男の名前。
そこそこに裕福な家に生まれ、そこそこに幸せな少年時代を生きて、そこそこに剣術の修行をした、何をしても無難な男。
今まで大きな苦労をしてきたわけもなく、のんびりとした生活をしてきたせいで少々めんどくさがりで乱暴者ではあるが、まぁ最低限の仕事はきちんとこなす。そう自負している。
教団襲撃事件の日も運良く体調を崩して自宅療養。魔物に襲われることもなく、仕事は失ったが事件をきっかけに今の騎士仲間たちのように魔物にデレデレする生活もしていない。
逆を言えばその
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