ヒュン。
最初は講和条約締結に忙しかった宮廷魔術師、エルンスト・マクスウェルも、最近は個々の種族との問題を解決することが多くなった。例えば今などは、ギルタブリルの毒に関する交渉を行って、宮廷に帰ってきた所だ。解毒剤の研究を進めるために毒のサンプルを提供してもらい、それを条件に猛毒の人間に対する使用を認めるという条件で…。
ヒュン。
ふと、昼下がりのローエンハルト王城の庭を歩くうち、エルンストは、小気味良い風切り音に気づいた。その方向を見ると、開けた場所で、鎧姿の騎士が素振りをしていた。
一心不乱に、一部の乱れも無く、一振りごとに静かに燃える気迫が込められている。両手持ちの大きな剣であるにも関わらず、目にも留まらぬ速度で振り下ろされ、ピタリと切っ先を頭の高さで止める完璧な素振り。エルンストは、その騎士に話しかけた。
「…グランツ、精が出ますね。そろそろお疲れでは?」
呼ばれた騎士は大剣を下ろし、汗を拭いながらエルンストに向き直った。彫りの深い顔に、鋭い眼光、一文字に閉じられた口。精悍な武将そのものの風貌が、見るものを威圧する。
「…エルか。…いや、まだ大した数はこなしていない。」
低い声で答えた。彼の名は、グランツ・ラングレン。エルンストとは同い年で幼少からの友人である。エルンストに取っては数少ない男の友人である、とも言う。そして、ローエンハルトきっての猛将であり、若くして当世最強の剣士との呼び名も高く、『武神』の異名をとる程の強者だ。
「…あなたの言う『大した数』は、常人からすれば天文学的ですよ。」
「…まだ五百三十だ。せめて一千は…。」
朴訥に答えたグランツに、エルはため息をつく。
「で、それが垂直で、後は左右が五百ずつ、突きの型が一千…そんなところでしょうね。…もう大きな戦いはそうそう無いでしょう、少し骨を休められてはいかがですか?」
「愚問だ。…鍛えなければ、錆びる。武とは…そういうものだ。」
ためらいも無く答えたグランツに、少し苦笑しながら、エルは軽く魔術を使い、空気中の水分を集めて、氷のグラスと水を作り出した。グランツに差し出すと、彼は頷いてそれを受け取った。
「…すまんな、エル。…感謝する。」
「いえいえ。」律儀に二度も頭を下げたグランツに、エルンストは微笑で返す。「頭が下がりますよ。もうそこまで鍛錬を重ねている兵士は少ないですからね。」
ともすれば嫌味ととれる発言に、グランツは、特に気を悪くした風もなく水を飲み、一息ついて、
「…役に立つ機会が無ければそれでいい。…軍とは、そういうものだ。」
答えて、グラスをエルに返してきた。そしてまた軽く礼をし、何も言わず素振りを始める。言葉少なでとっつきにくい印象はあるが、実直な性格を知る人には好まれている。わけてもエルンストとの間柄は、まず親友と言ってよかった。そしてその親友としての立場から、エルンストは、
「…女性の前でもそれだけいいことが言えれば、もっと上手く行くのでしょうね。」
「…う…む…。」
痛いところを突かれたグランツが、思わず剣を地面に打ち付ける。『泣かした女の涙でアクアフラッドが起こせる』と評判のエルンストとは対照的に、このグランツは、女性の扱いに関してはとことん下手だった。
「…全く。顔は悪くないし、ストイックさから相当な人気があるんですから…もっと自信を持って当たらないと。」
「…そうは…言うが。」
グランツときたら、戦場では向かうところ敵なしなのに、女性と対面するだけで真っ赤になり、しどろもどろでしか話せなくなるほどの重症なのだった。時折『エルンストの女ったらしと足して2で割ってしまえばいいのに』なんて話も聞く。
「そうですね…では、何かしら話を自分から振っていけばいいでしょう。君には英雄譚も多いんですから、それを聞かせれば女性は必ず憧れてくれますよ。…私と一緒に海王竜6頭を討伐した時の話など…」
「それを…」
急に話に割り込んできたグランツの顔を見ると、やたらめったら真剣な顔で、剣の先に敵を見るようにこちらをジッと見つめていた。
「…話せば…その…エル、い、いけるのか…?」
「…ふふっ…ええ、大丈夫ですよ、グランツ。きっと世の女性の、羨望の的になれます。何なら少し脚色してもいいでしょう。」
「…そうか…。」
幾分さっきより嬉しそうに、また素振りを始めたグランツ。エルは面白そうに笑いながら、その場を後にし、国王のもとに、報告に向かった。
「そうか…ご苦労じゃったな、エル。…それで、次の依頼じゃが。」
「いやはや…大忙しですね、少しは休ませても貰いたいものです。」
謁見の間で、いそいそと書類を取り出すローエンハルト国王に、苦笑しながらエルンストが口答えする。講和の交渉より、種族ごとの問題の方がよっぽど厄介で、数も多い。
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