ふらふら覚束ぬ足取りで以て傾斜緩やかな、けれどもひどく長い山路を歩き歩き。ようよう辿り着いたと思いて踏み込んだ矢先。我が親愛なる一対の盟友は、当方これにて役目を終えまして候。とも言わんばかり、爪先に掛けた逞しい根を枕にまどろみ始めた。
なれば残された上体など支え無くし、眼前の大地と熱く抱擁交わすのみ。
「嗚呼。日輪が絶頂の座に在ると申すのに、暖かな陽光を遮るとは罪深い。どうして足下は、こんなに冷たいでは無いか。」
など発したとて、一面広がる蒼ざめた木々が応える道理は在りもせず。されど若草に肢体抱かれたままともいかぬ。ならばと眠り深い両の足を再び立たせ、目前で口を開けた暗闇へ踏み入る。
──先程より余り在る醜態晒してまでの登山と洒落込む上は、相応に理由が在るもの。果たしてそれは先日、獣を捕ろうと弓片手に分け入った折。
牡鹿を追い、帰路も省みぬまま駆けた挙句道に迷い。行く手知れず途方に暮れていた処を雨降られ。矢先、苔むして湿った真暗い洞を視野に捉え、これ幸いと雨止みを待つ事とした。
しかし、降り出した雨は中々止まぬ。暇持て余し、洞の観察を始めた。すると獣が身を擦ったかの様に、不自然に岩肌晒す処が在る。
好奇心に唆され攫った指先に、真っ黒い幾本の糸を手繰った。獣の毛かと考えたがしかし、色艶およそ人の頭髪の様。ジッと見る内、その髪の美しさに心奪われた。己の二十余年の生涯に於いて、これ程美しいと思えた物など在りはしなかった。
──瞬間。背後に沈む暗闇から凄まじく異様なる気配感じ、余りの恐怖にたちまちに駆け跳ねた。遭難降雨に諸々一切を思考より追いやり、無心で下へ下へ逃げ駆ける。
腐熟した土壌に幾度も足掬われ、転けて落ちて泥塗れ草塗れと散々な目にこそ遭うたが、山を抜ける事こそ叶った。
しかしそれからと云うもの、あの髪の事ばかり思い浮かぶ。
──墨を何度も丹念に塗り込み積層させ、
しかし尚も透ける様に美しい漆黒──
──いやいや、そも髪は、何故に在ったのか、
如何なる訳が在るのか──
寝ても覚めてもこればかり。ただ、思考様々在れど終着点はひとつ。
髪の主は、きっと美しい女に違いないと。
さて閑話休題、舞台は現在に還る。
要するに、美しい髪の主を暴かんとする男故の”サガ”。そして僅か残る理性の訝しむ心を以て件の山窟を目指し来た訳で在る。
とはいえ洞の何と広く深い。縦横に幅広のうねった岩壁は濡れた鴉の様で、視える筈の光景は黒の虚像へ換算される。
そんな処において、尚淀み無く前へ進める所以は、右手に提げた木切れに実る灯火の働き故。即ちこれ失くさば周囲一切黒に満ち足る。
従って、あたかも己が命の如くに庇い進むは、誠に仕方無き事で在った。最も、その姿は酷く滑稽に映る事だろう。現に頭上よりこちらを見つめる少女は、笑声堪えるのに必死で在った。
山窟で少女逆さ吊りとは異常極まる。しかし彼女の髪にのみ、目を奪われた。それが何時かこの手に攫った物と同じ、洞より尚暗い髪で在ったが故だ。
「くふ、ふふ......。」
岩の天蓋に吊られた娘は、陰性的顏を逆様にし、静かに笑って居る。
長い睫毛を額に飾った黒水晶の如き瞳が、僅かに幼げな顔立ちに似合わぬ熱を帯びた視線を射掛ける。
黒髪に混じり、伸ばす触角蠢くは人に在らざる証左か。しかし眼前の少女が如何な物の怪で在ろうが、最早些末な事で在る。
「どうか、モット間近で拝ませて下さいませ、この身を捧げる殿方の御顔を、しかと見たいので御座います。」
少女は緩やかに灯の許へ。あらわとなる青味を帯びた白き肌は、彩る毒腺の黒きを以て一層の蠱惑を孕む。
濃紺の羽織を纏っては居る。最も、逆様の姿勢故にだらしなく肩を支点に垂れ下がる有様で、本来の役目一切を果たす事は無い。
つまりは互いに見つめ合う視線を違え少々上を見らば、真白に煌めく雪原が如き華奢な身体に二つ在る麗しの丘を捉える。しかしなだらかな曲線の頂は一対の歩肢と思しきに覆われ見えぬ。それはむしろ益々の熱情を誘引する焦らしで在ろうか。
──更に視点を上へ。少女の身体に僅か浮かび見える肋骨の段を舐める様に堪能し、次いで腹部は微か光浴びて明暗をもたらし、身体の少女的華奢さをより際立たせる。特段、鼠径に軌跡を描く陰りの艶やかさは堪らぬもので在った。
「わたくしの身体を御覧になって、興奮して居られるのですね。貴方様の高鳴りがつぶさに、触角へ響いて参ります。サァ......わたくしに御身を委ねて下さいませ。共に、夫婦となりましょう。」
それは余す程の淫猥に、爛れんばかりの淫楽に満ちた生活となるだろう。断る理由など端から無い。しかし一つ、タッタ一つだけ、明らかにせねばならぬ事が在る。
「其方も、良いのだな。」
「──ええ、勿論で御座います。わたくしは百足の女故、眼は余り頼りとならぬ
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