「……ぅ……ん……」
眠りから覚醒し、意識が開かれる。
「……?」
――目が、明いた。
何故、そうしたのか。瞼を開くという行為に、意味などないはずなのに。
『暗い』ということすらわからない、限りなく黒に近い灰色の闇が、少年の世界だったというのに。
目に飛び込むは、色彩の洪水。
「え……?」
怖くなり、とっさに目を閉じ――再度、恐る恐ると開く。
圧迫する無限の暗闇ではなく、有限でありながら広がりを持った空間。
よく解らないが、自分が寝台らしき物の上に寝ていることは理解できた。
実際に、手を伸ばして確かめてみる。
シーツの手触りと、毛布の温かさ。意識を失う前と一緒だ。
服装は絹布のネグリジェを着せられており、簡素だが着心地は良い。
寝台から足を伸ばし、そっと床へ下ろす。カーペットが柔らかく体重を受け止め、その不確かさが心許ない。
徐々に頭が働き始め、アストライアの言葉が甦る。
『女騎士に酷いことをする』
胸中に不安が芽吹く。
玲瓏なる声の魔物は、いったいどこへ行ったのか。彼女の存在を求め、翠玉の瞳に映る本の数に圧倒されながら、耳をそばだてる。
すると、微かに。部屋の外から何かが聞こえた気がした。
慎重に歩を進め、壁伝いに扉らしき物へ近寄る。知識と手触りを一致させながらノブをひねり、廊下へ足を踏み出す。
目に映る物が本物なのか、確かにそこにあるのか、判らない。判らないから、壁に手を突きながら、一歩一歩を確かめながら歩く。
だが、その警戒心も、耳に飛び込む音で吹き飛ばされた。
「リーフィっ、リーフィーーーーーーーーーッッッ!!」
ルーナサウラの声だった。大切な幼なじみの少女が、今まで聞いたこともない切迫した声で、少年を呼んでいる。
「サーラ!」
ミリシュフィーンは駆けた。もう、形振り構っていられない。
声は、廊下の突き当たりから聞こえた。丁度扉らしき物があり、向こう側は部屋になっているのだろう。
いつもより身軽に動けることなど気付きもせず、廊下を駆け抜け、ドアノブに飛びつくように開け放った。
「サーラ!」
室内は、黒くドロドロした物が敷き詰められていた。
その部屋の中央辺りには、二つの人影らしきものがある。
一人は、黒衣の女性。美醜の境界が曖昧で、そもそもそういった価値観とは無縁であった少年ですら、目を奪われる秀麗さ。様々な意味で、人ではあり得ない造形美を有している。
そしてもう一人は、黒いロープ状の物に拘束された、長身の少女。服は裂け裸身を晒し、表情の意味は分からないが、怒りや恐怖でごちゃ混ぜの緊迫感が伝わってくる。
それが、初めて目にするアストライアの姿であり――ずっと側にいたのに、生まれて初めて目に映す、ルーナサウラの姿であった。
「サーラ!」
「り、リーフィ!? リーフィなの!?」
再び現れた少年の姿に、ルーナサウラは混乱の極みだ。
が、次の瞬間。
赤毛の少女は、下腹部の『何か』が熱量を増し、狂おしいまでの情欲が湧き上がるのを感じた。
いっぽうミリシュフィーンは、恩人であるはずの女城主へと歩を進め、懇願の声を上げる。
「サーラに酷いことをしないで下さい! 罰は僕が受けます!」
得体の知れない粘液を踏みしめ、翠玉の瞳を真っ直ぐ向けてくる少年を、リリムは、蠱惑的な笑みで迎えながら言った。
「では、罰を受けなさい」
水に小石が沈むように、魔物の姿は暗黒に沈み――その暗黒も、後を追って床に消えた。
残されたのは、言葉の意味を計りかね戸惑う少年と、
戒めを解かれ、床にくずおれた少女の、二人だけ。
「サーラ! だいじょうぶ?」
駆け寄ろうとするミリシュフィーンだったが、
「来ないで!」
鋭い制止の声に、思わずその足が止まる。
無残で淫靡な姿と成り果てた少女は、自分の体を抱くようにして、身を震わせている。
寒さを覚えているのとはまた違う、逼迫したものを感じる。
ミリシュフィーンは――いつもの彼ならば、自分にできることは何もないと諦め、ルーナサウラの言葉に従っていただろう。せいぜい、人を呼びに行くくらいか。
だが彼は、一歩を踏み出した。
呪いとか、資格とか、言い訳を探してしまいそうな弱い心を奮い立たせ、少女の元へ歩み寄る。
「はぁ、はぁ、リーフィぃ……くぅっ、来ちゃ、ダメぇ」
熱に浮かされでもしたように、力なくあえぐ幼なじみを、少年は、そっと抱きしめた。
きっとその行為は、お互いの絆を結ぶ行為だったのだろう……本来は。多くの物語の中では、ハッピーエンドのサインになったはずだった。
別の結末を望む、邪知淫虐なる魔物が、毒さえ忍ばせていなければ。
こんな風には、ならなかったろうに。
「ああ、どうしよう……リーフィぃ、わたし、我慢してた
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