契約の対価

 城の周囲は結界が張り巡らされている。近寄る者を遠ざけ、万がいち踏みいる者がいても、散々迷わせた挙げ句、いつの間にやら森の外に出る仕組みだ。
 ぐるりと囲む植物は極彩色で、毒を帯びた美しさは、魔界の様相を思わせる。
 荘厳なる城内は静けさに満ち、耳の良いミリシュフィーンでも、自分達以外の音を拾えない。

 だが、彼にはそれで良かった。
 おかげで、寝台で眠る、幼なじみの少女が立てる寝息が、よく聞こえる。穏やかで、規則正しい。
 握った手は温かで、女の子にしては硬い掌だが、一生懸命に剣を振った、努力の手だ。
 清潔そうな寝具の匂い。微かに香るカモミールに似た匂いが、緊張をほぐす。
 安らかな眠りが、そこにはあった。
 視覚以外でそれらを感じ取り、少年はホッと息をつく。
「しばらく寝かせておくといい。そのうち目が覚める」
 ミリシュフィーンを見守っていた女城主は、彼の背へ声をかけた。
「はい」
「では、私の部屋に移ろうか?」
 アストライアに手を引かれ、少年は部屋をあとにした。



 そこは、本に埋め尽くされた部屋だった。ちょっとした図書館だ。
「さて。では、対価を払ってもらおうかな」
「いかようにも」
 毛足の長い絨毯に両膝をつき、頭を垂れようとした少年を、アストライアは押しとどめる。手を引いて立たせ、広々としたベッドへと誘い――華奢な体を押し倒した。
「っ?」
 緊張に身を硬くする王子だったが、抵抗はしない。
 その小さな体に覆い被さりながら、魔性は告げる。
「君は言った、『何でもする』と。『全てを捧げる』と。魔物に、それも〈リリム〉であるこの私にだ」
「はい」
「愚かな。もしも私が『死ね』と命じたならば、君は死ぬのかい?」
「は、い」
 震える声が返される。
「本当に、何て愚かなんだろうね」
 アストライアが顔を寄せると、長く豊かな髪が背から流れ落ち、白銀のカーテンとなって少年の顔を囲む。得も言われぬ甘やかな芳香が、あたりを包み込む。
 白い顔と、より白い顔とが至近で向かい合う。
「……ごめんなさい」
「あの忠義の騎士は、君を救うために体を張って、あんな大怪我を負ったんだよ? それはつまり、君に価値を見いだしてるってことではないかな? それなのに君は、我が身を軽んじ、彼女の意思を軽んじている。違うかい?」
「ごめ――んぅっ?」
 紅をさす必要のない、扇情的な朱に染まる唇が、ミリシュフィーンの謝罪をキスで遮ったのだった。
「『気安く謝れば罰を与える』、そう言ったはずだ」
 静かな声音に陶然とした色が乗る。
「見逃してあげようかとも思ったけど、やっぱりやめた。君はもう、ここから出してあげない。君みたいな悪い子は、私が躾なおしてあげる。もうお家には帰れないし、家族にも会えないよ。君の居場所は未来永劫、私の側だ。覚悟しなさい」
 その言葉を聞いて――それまでこらえてきたものが決壊し、男の子の頬を涙が伝った。
 どうせもう帰る場所などないのだと解ってはいても、心では受け容れ切れていなかったのだろう。その危うさを魔物の言葉が突き崩したのだ。
 声を殺して泣く少年の頭をふわりと撫で、
 頬を伝う雫を、リリムはそっと、優しく啄む。
 唇は止まらず、王子の顔や首筋にキスの雨が降り注ぐ。
「何をしているのです!?」
 突然の事態に硬直していたミリシュフィーンは、混乱のなか叫んだ。
「ん? キス」
「いけません! キスは愛する者同士が行う、神聖なものなんです!」
「教会の教えかい? 残念、私は魔物だからね、関係ないのさ」
「でもっ、でも僕は……呪われてるから。あなたに累が及びでもしたら」
 継母が言っていたのだ、『目が見えないのは、呪われているからだ』と。『王家の面汚し』とも『親不孝者』とも言われた。
 一人でいる時、耳に甦る。夢の中で、何度も何度も繰り返される。記憶に刻まれ、頭に焼き付いて消えない、それこそ『呪い』の言葉。
「呪い? 神の呪いなど、魔物の我が身には祝福と同義。ワインのように飲み干してやろう!」
 高らかな宣言は楽しげでさえあり、呪いという名の言葉の城壁を乗り越えて、胸の奥まで突き抜けた。
 ミリシュフィーンは混乱していた。否、焦っていた。危機感をかき立てられているのに、どうしてだか胸が熱くなる。だが、己の混乱は差し置いて、とにかく恩人であるアストライアを思い止まらせなければと、抗弁する。
「で、でも!」
「うるさい口だ」
 王子の唇が、同じ物で塞がれる。
 啄むようなキスから、一転、貪るような深いものへと。
 差し込まれた舌に驚き、思わず歯を立ててしまいそうになるのをとどまり。結果、蹂躙者の侵入を許すはめになった。
 熱い。淫らな熱のかたまりが、口内を我が物顔で這い回る。
 ざらつく舌の表側で口蓋をひと舐めされれば、耐えがたい
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