いい人であるのは間違いないのだが致命的なところで残念な冴えない男。というのが自他共に認める高野礼次の評価だった。
道を歩けば旅行者や外国人に道を聞かれる。駅前や駐輪場を歩いていれば誰かが自転車のドミノ倒しをしている現場を目撃する。雨が降っていれば必ずと言っていい程傘を持たずに困っている者に出くわす。
礼次はその度丁寧に道を教え、自転車を立て直すのを手伝ってやり、自分が濡れるのにも構わず傘を差し出してやるような、そんな男だった。
優しくて人がいいという事は誰もが評価するところだった。しかし一事が万事そんな調子であったためか、彼の事を一人の男性として好意を抱くような女性は、その献身的な生き様とは反比例するかのようにほとんどいなかった。
その過剰な優しさが災いして、誰とでもそれなりに仲良くはなるのだが、結局は「いい人」止まりで終わってしまうのだ。それどころか異性として扱われなかったり、「都合のいい人」として使われたり、想い人から別の男に対する恋の相談や手伝いをさせられる事さえざらだった。
そんな事もあって、大学四年になった今でも彼の恋が成就した事は一度として無かった。
これはそんな彼が経験した、真夏の夜の恐怖の一夜のお話である。
「ただいま」
誰も居ない六畳一間に、バイトから帰った礼次の声が木霊する。
部屋の明かりが点けられると、不潔ではないまでも片付いているとは言い難い居間が蛍光灯の無機質な光の元に照らし出された。
しばらく干していない万年床、読み散らかされた書籍や漫画本、枕元に引き寄せられたちゃぶ台、その上の開きっぱなしのノートパソコンに、出しっぱなしの食器。礼次は布団の上にショルダーバックを放り、ノートパソコンを片付けてコンビニのビニール袋を置いた。
テレビを付けて面白くも無いバラエティ番組を垂れ流しにしながら、キッチンに行ってやかんに水を汲み火にかける。
ガスを出来うる限り搾って極弱火にしてから、自分自身は服を脱ぎながら浴室へ向かった。
シャワーで軽く汗を流し、部屋着であるTシャツとハーフパンツに着替える。
出てくる頃にはちょうどやかんが機嫌よく蒸気を吐き出し始めていた。
ビニール袋からカップ麺を取り出して、手早くスープの素とかやくを振りかけ、湯を注ぎ、一緒に買ってきたサラダを食べながら麺が出来るのを待った。
騒がしいテレビを眺めながら無心で取る食事はあっという間に終わった。サラダを食べ終えてもなお、熱湯に浸された麺は少し硬かった。
「……まぁ、いいか」
礼次はつぶやき、適当に麺とスープをかき混ぜてからカップ麺を啜り始める。
どっとテレビから笑い声が響く。礼次はあくまでも冷めた視線を向けながら、ただひたすら麺を啜り続けた。
特に誰と話す事も無く、テレビも見るでもなく眺めていただけだったので、カップの中の麺はあっという間に消えて行った。
「ふう」
顔中に汗をかきながら、礼次は大きく息を吐いた。
「安いからって、夏場までカップ麺は無いな」
汗を拭いながら扇風機を付ける。
部屋に備え付けのエアコンは故障中だった。なかなか暇を見つけられなくて修理の目途も付いていなかったが、既にもう熱さに慣れ始めてもいた。
部屋の中にコメディアンの大仰なおしゃべりと、扇風機の駆動音が響き始める。
「……」
布団を見下ろし、礼次はもう寝てしまおうかと少し迷う。
今日は急遽休んだバイト仲間の分まで働いていたため、いつもに比べて大分疲れていた。しかし同時に妙に気が冴えてしまっても居て、このまま眠れる気もしない。
苛立たしげにテレビ画面に視線を送り、映っていたグラビアアイドルを見て礼次はある事を思い出して布団の上のバッグに手を伸ばした。
バッグからレンタルショップの袋を取り出し、さらにその中を漁る。
袋の中から現れたのは、プラスチックのケースに入った肌色の目立つDVD。素人物のアダルトビデオだった。バイト帰りに寄ったレンタルショップでたまたま見つけて物凄く気になり、衝動的に借りてきたのだ。
(一発抜けば寝やすくもなるだろ。本当は本物の彼女がいいけど……いないものは仕方ないしな)
礼次は生き返ったかのようなきびきびとした動きでプレーヤーにディスクをセットし、布団の上で姿勢を正して期待に胸を高鳴らせながら映像が始まるのを待った。
そして、真っ暗な画面に映像が映るなり、礼次は眉を寄せて声を漏らした。
「何だこれ」
再生が始まるなり画面に映し出されたのは、古めかしい井戸だった。
周りに黒々とした木々が生い茂っていて、木の葉が茂りすぎているのか曇っているのかは分からなかったが、画面全体が酷く薄暗い。
深い森の奥のようなのだが、しかし井戸の周りにだけはまるで避けているかのように雑草一本生えていなかった
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