前編:魔物の目覚め

 久方ぶりに彼女が目を覚ました場所は、暗く埃っぽい石室の中だった。
「ふああぁ。あれぇ、あたしは一体どうしていたんだったかしらねぇ」
 彼女は身をくねらせて自らが収められていた棺から身を起こす。
 何だかまだ頭がぼんやりとしていた。少し唸りながら頭を振ると、耳元のピアスがちりん、と涼やかな音色を立てる。
「確かファラオをやっつけにここに来て、ワンちゃんやネコちゃんを捻ってやりながらここまで来たのよね。
 ……なのにどうして、よりにもよってファラオが寝てるはずの棺で寝てたのかしら」
 彼女はこめかみに人差し指を当てて首をひねる。
 自然とそんな仕草を取ってから、彼女は自分の腕の存在に気が付いて目を丸くした。鱗も筋肉もろくについていない、艶やかで傷一つないすらりと伸びた細い腕。自分の腕はこんなに頼り無いものだっただろうか。
 指先の爪も美しい光沢さえ放っているものの、武器として使うにはあまりにも脆そうだ。
「……あたしの身体、こんなだったかしら」
 ぬらぬらとした闇色の鱗に覆われた蛇の身体には見覚えがある。だがこの"上半身"と言えばいいだろうか、鱗の無い腹から上の部分は、これではまるで人間の女のようではないか。
 内臓が収まっている腹の上には鱗一枚無く、触ればふにふにと柔らかい。そして一番の急所である心臓の上など最悪だ。腹よりは脂肪が乗っているが、この肉は信じられない程柔らかく、剣や槍はおろか小さなナイフですら防げそうにない。
「あいつの力のせいかしら。でも、いくらなんでもあたしの姿を変えられる程の力を持っているとは思えないし、それに小細工ばかり弄してきたあいつの力があたしに効くとも……。って、そうだったわ。そうだったわね」
 無意識に漏れた己の言葉から、彼女は少しずつだが記憶を取り戻していく。
 自分は太陽の王を倒すべく生み出された魔物アポピス。名はインヘル。倒してきた王、つまりファラオも数知れずで、それなりに人間達からも恐れられていた存在だった。
 そんな自分がどうして本来敵が眠っているはずの棺の中で眠っていたのか。それを思い出し、インヘルは拳を握りしめて歯噛みする。
「あの忌々しい小僧め」
 朽ち果てた壁に描かれている質素な壁画や慎ましい装飾品からも分かるように、この遺跡の主はもともとそれほど権力のあるファラオでは無かった。
 元々は戦うつもりの無かった相手だ。本命は砂漠に大国を築いた高名なファラオの遺跡だった。この遺跡はその道の途上にあるに過ぎなかったのだ。
 無視して避けて通っても良かった。しかしアポピスとしての誇りがインヘルにそれを許さなかった。ファラオの天敵アポピスが小さいとはいえファラオの遺跡を避けて通るとあっては種族全体の名折れになる。インヘルはそう考えたのだ。
 特別インヘルが驕っていたというわけでは無かった。他のアポピスであっても恐らく同じ判断を下しただろう。ただ、インヘルが考えていた以上にここのファラオは切れ者だったのだ。
 王の間までたどり着く事自体は簡単だった。ここのファラオはまだ子どもだったこともあり、守護者であるアヌビスやスフィンクスも数が少なく弱い者ばかりだった。
 しかしそれは罠だったのだ。
 棺を開き、穏やかなファラオの眠りを永遠の物にしてやるべく必殺の毒牙をその腹に突き立てた時、ようやくインヘルは自分が罠に嵌められたのだと気が付いた。
 どこからともなく現れた無数の手が自分の背を突き飛ばし、棺の中に押し込んできたのだ。勝負は戸惑っていた一瞬のうちに付いていた。抵抗しようとしたときには棺の蓋が閉められ、闇の中に閉じ込められていた。
 最後に感じたのは、してやったりというファラオの思念だった。この遺跡は、遺跡自体が幼いファラオの用意していたトラップだったのだ。眠りにつく前から、自分達を狙う魔物の事を考えて用意しておいたのだろう。
 本物のファラオが眠っている遺跡はそう遠くない場所に隠されていたのだろう。ここは分かりやすいダミーだったというわけだ。インヘルは完全に出し抜かれてしまったのだった。
 インヘルは暴れて逃げようとしたのだが、抗い様の無い眠りの封印術がそれを許してくれなかった。
 そうして強制的に眠りにつかされ、ようやく目が覚めたかと思えば遺跡はとうに朽ち果てていて自分の身体も変質していると言ったありさまだった。
 一体どのくらいの時間が経ったのか。自分の身に何が起こっているのか。インヘルは分からないことだらけだった。
「何よ、何よ、何なのよこの感じ! 不快だわ! しかもお腹空いた!」
 インヘルは頬を紅潮させ、びたんびたんと尻尾を床に叩きつける。その度土埃が舞い上がり、遺跡全体が軋むような音を立てる。
 インヘルの胸の中に湧きあがってきた感情、それは怒りだった。だが封印される前は人間的な
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