白蛇の試練

 夏季には緑の葉を若々しく茂られていた木々も、秋が来れば次第に紅色に葉を染め始め、やがては紅も落として雪で化粧をするようになる。冬の森は、虫や獣が雪の奥で寝静まり、鳥の声も聞こえない程白く塗りつぶされた音の無い世界だ。
 しかしそんな森にも、一カ所だけ音の満ちる場所があった。普段は人の踏み込まぬ森の最奥にある、一本の滝だ。
 長い時を掛けて山に染み渡る雨水。それは地中でゆっくりと寄り集まり、次第に地表へ流れ出る。そして幾筋ものそれらが交わり、絡み合い、紡ぎ出される糸のように川を作る。
 山の恵みは滝となり流れ落ち、森の命を育みながら、やがて人里へと流れゆく。
 この滝は山と里との境界だ。滝の向こうは水神の棲む世界だと村では信じられている。むやみに人が入ってはならない、神々の聖域だと。
 その滝が流れ落ちる岩間から、白い飛沫の靄を抜けて一人の女が現れる。
 飛沫にも負けぬほどの白い肌には何も身に着けておらず、冷厳としたその表情には周囲に畏怖さえ感じさせるほどに人間離れした美しさをたたえていた。
 腰元まで伸びた黒髪と赤い唇だけが、彼女が生きた人間である事の証明のようだった。
 一人の男が木の陰から飛び出し、女の身体に巫女装束を羽織らせる。
 純白の生地を浅葱色の糸によって縫い上げられたそれは、女の脚がほとんど露出してしまう程に短い。一見して衣服としての役割を果たせていないようにも見えるが、しかしこの衣装こそが、この土地に伝わる神の使いの正装なのだった。
「姉さ……巫女様。お召し物を」
 男は着物越しに伝わる女の肌の冷たさに息を飲み、力を籠めようとするのだが。
「人の子よ。無用な気遣いは必要ない。身の程をわきまえよ」
「しかしっ。……出過ぎた事をいたしました。申し訳ございません」
「それでいい。付き添い、感謝する。では行こう」
 里へと続く雪道を歩き始めた女の後に、男は顔を伏せて続いた。
 裸足の女の足は、雪を踏むたび赤らんでいく。しかし男には何も言えなかった。ただ唇を噛み、女の後について歩き続ける事しか出来なかった。


 その村には、昔から年の瀬に行われる一つの儀式があった。
 一年の感謝と、翌年の豊作を願う水神降ろしの儀式。
 巫女を水神に見立て、酒と料理をもって村を上げて巫女をもてなす事で一年の感謝を表すとともに、巫女もまた村人達を労い、翌年の豊穣を約束するという形で翌年への祈りとする。
 この儀式は村人達にとって神を敬う大切な神事であるとともに、一年の労をねぎらい合う一番の祭でもあった。
 だが、その年の儀式にて、異変は起こった。
 神社の本殿で行われる神降ろしの儀の最中。水神が、本当に巫女に降りたのだ。

『人の子達よ、聞くが良い。間も無く、百年に一度の厄災がこの村を襲う。日照りと大雨が繰り返され、大地は押し流されるであろう。
 だが恐れる事は無い。それを逃れるすべは、ある。
 白蛇の柱を立てよ。さすればその神通力により、村は災いを退け、さらなる繁栄を得るであろう』

 予想外の巫女の言葉に神社の神主たちは驚き、困惑した。水神降ろしの儀式でこんな事が起こるのは全く初めての事だった。
 果たして巫女の言葉は本当に水神のものだったのか。言葉を発した巫女自身も、自分が何を言ったのか、何が起こったのか、当時の事を全く覚えていなかった。
 神主たちの意見は割れた。
 水神になり切り恍惚状態になった巫女の妄言ではないのか。狐狸の類に化かされただけではないのか。
 しかし、もしも巫女が本当に水神を降ろしていたのだとすれば、村は未曾有の厄災に見舞われ、全滅する可能性もある。
 誰も確証をもてぬまま、時が経つごとに険悪な空気だけが色濃くなっていった。そして誰もが楽な方、つまりは水神の言葉自体を無かったことにしようと考え始めた頃の事だった。
 最長老の神主が、書庫から一冊の書物を探し出してきた。
 村の歴史が書きつづられたその書物には、この村が太古の昔から定期的に大災害の危機に見舞われていたことが書き綴られていた。
 書物によれば、災いは水神が代替わりを迎える時期に合わせて定期的に訪れるとされていた。
 水神は常に村とその周囲の水の気を安定させ、村から災いを遠ざけ、豊穣をもたらしてくれている。しかし、その代替わりの時期だけは水神の力が弱まってしまうのだという。
 つまり、水を治める者が不在になってしまうために災いが起こってしまうのだ。
 ただし水神の眷属である白蛇がそばに仕えていれば、水神の力が弱まっていたとしても災いは最小限に食い止められると伝えられていた。
 この事実を知ってなお現実を受け入れられない程神主たちは愚かでは無かった。神主たちは態度を一変させ、村の存続の為に一致団結を見る事となった。
 幸運だったのは、書庫には白蛇を呼ぶ方
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