目の前に、見慣れない円形に切り取られた青空が見えた。
ごつごつした石の天井。腐りかけのあばら家とは全然違う場所だ。
いつまで寝ていても誰も怒鳴りに来たりはしない。安心して休んで居られるはずなのに、なんだか気持ちが落ち着かなかった。
全身を覆う鈍痛に耐えながら、上半身を持ち上げる。
ここまではっきりと痛みを覚えては、もう夢だと思うことは出来ない。
妹を男に託し、俺は囮をやっているうちに崖から落ちた。そしてこの世の物とも思えない美しい妖怪に助けられ、その人に口で……。夢のような出来事だった。本当に夢だったのかもしれない。俺のような冴えない男があんな良い女に迫られるわけがないのだから。
だが、自分のその部分を見ると昨日の痕跡が、匂いが残っている。男の精と、女の唾液の交じった淫らな匂いが。
俺は首を振って考えを追い出そうとする。思い出してしまえばまた自分で処理できない状態になってしまいそうだった。
俺は足にそっと指を掛ける。痛みを覚悟していたのだが、予想していたよりもはるかに痛みは弱く、腫れも少し引いていた。
だが、まだまだ立ち上がれるような状態ではないだろう。問題なのは足だけではない。全身が鉛のように重たいのだ。
行きたいと思う場所もない。行かなければならない場所もない。
しみったれていると、腹がきゅうっと鳴った。本人の気持ちにお構いなしに、生きていれば人は腹が減るらしい。
食欲をそそるいい匂いがしている。焚火に鍋がかけられているところを見ると、あれが匂いの元なのだろうか。
「おはようございます。目が覚めたのですね」
百合が天井の穴から、百足の身体をくねらせる様に、器用に壁を這って部屋へと降りてきた。なるほど、風を通すための穴かと思っていたが、彼女たち妖怪にとってはこれも立派な出入口なのだ。
「昨日はお疲れのようでしたね。……あの後気を失うように眠ってしまわれて」
彼女は鍋のふたを取り、少量の野草を入れて中身をゆっくりとかき回している。その横顔が少し赤らんでいるのは気のせいだろうか。
「私としてはもう少しお話などしたかったのですが」
椀に鍋の中身をよそい、彼女は上目使いで恐る恐るといった感じで俺に椀を差し出した。
受け取った椀の中身は出来たての味噌汁だった。茸や木の実、野草などが入れられていて具だくさんだ。
「普段は、あまり料理らしい料理をしないもので、さき様の腕前には敵わないとは思いますけれど」
俺は一口すする。あぁ、うまい。
食べ物を口に入れた途端、体が思っていた以上の空腹を訴え始めた。考えてみれば昨日の朝以来何も口にしていないのだった。
昼は身代わりの段取りや準備で忙しく、食欲も湧かなかったのだ。
それから山を逃げ回り崖から落ちてからはずっとここで、何かを食べるという状況でもなかった。まぁ、妖怪たちに食べられそうになった気はするが。
気が付けば、すでに椀の底が見えていた。
「あ」
百合は俺の手から椀を取り、黙って二杯目を入れて渡してくれた。
躊躇したものの、百合のはにかんだ笑顔に促され、二杯目に口を付ける。
薄すぎず濃すぎず、好みの塩加減だった。味噌の香りの中に茸の風味も生きていて、煮込みすぎによって素材が殺されてしまっているという事もない。
一杯目はろくに味わわずに飲み干してしまったが、落ち着いて食べてみれば、この料理が丁寧に作られていることに気が付いた。
二杯目もすぐに空になり、ようやく人心地がついた気分だ。
「おかわりなさいますよね」
「でも、あんたの分は」
「私はあまり食べませんから。丸一日食べない日も多いんですよ」
彼女はそう言いながら、三杯目を手渡してくれる。
「だから食べ物自体もあまり置いてなくて。本当はご飯を出せればよかったんですけれど、こんなものしか」
「いや、十分だよ。それにとても美味しい」
「お、お口に合ったようで、よかったです」
百合はそう言って俯いてしまう。長い髪に隠されてしまって表情は分からなかった。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。
「いや、こんな料理を毎日食べられたら幸せだろうと思うよ」
「う、嘘です。あんまりお世辞ばっかり言ってると私だって怒りますよ」
百合の肩が小刻みに震えている。その声も少し震えていたように思えた。
思っていたことを口にしてみたのだが、やはり気持ちを伝えるというのは難しい。
腹が満たされると、今度は眠気に襲われる。
体がぽかぽかしてきて、瞼を持ち上げているのが辛くなる。さっき起きたばかりだというのに、抗いがたいほどの睡魔が体の芯から滲み出してくる。
からりと音がする。箸が床に転がったのだ。
「どうぞ、眠ってください」
いつの間にか、俺の背に百合の手が回されている。暖かくて、柔らかい。
「我な
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