気が付けば俺は部屋を飛び出して街中を走り回っていた。
蛇の半身を持つ女性を探す。ヒルダ。ヒルダを早く見つけなければ……。元の世界に帰ってしまう前に、探し出さなければ。
そうしなければ、もしかしたらもう会えないのかも……。
いつも一緒に行くスーパー。たまに寄るコンビニ。帰りの通り道。どこを探してもヒルダはいない。
「……ヒルダ。ヒルダぁ!」
名を呼んでも、誰も答えてはくれない。
まだ俺からは何も伝えてないのに。良くしてもらった恩返しだって出来ていないのに。
帰らないでくれ。俺のそばに居てくれ。
……居た! 蛇の尻尾だ!
「ヒルダ! ……あ」
「な、何なの?」
蛇の半身を持ったその女性は、しかしヒルダどころかエキドナでも無かった。
確かに少し似てはいたが、髪の色も、肌の色も全く違う。何より顔つきが全然違った。多分この娘はラミアだ。
「すみません、間違えました」
俺は頭を下げて、力なくその場から離れる。
もう、帰ってしまったのかもしれない。だとすれば、こんなところを駆けずり回っていても仕方が無い。
もし元の世界に帰ってしまっていたとしたら、どう探せばいいんだろう。
俺はヒルダがどうやってこの世界に来たのかも知らない。異世界との出入口があったとしても、その場所が分からなければあちらの世界に探しにも行けない。
足を引きずるように歩くうち、いつの間にか自分のアパートの近くにまで戻って来ていた。
前が良く見えなかった。景色が歪んで滲んで見える。
俺がいけなかったんだ。俺が、彼女の気持ちを素直に受け入れていたら……。全然嫌いじゃ無かったのに。一緒に居れば安心出来て、飯も美味くて、美人で、愛しささえ感じていたのに。
魔物だからって、躊躇っていたばっかりに、俺は、大切な人を……。
角を曲がって、アパートに敷地に入った途端、見慣れた後姿が目に入って。
俺は何も言わないまま、相手の確認もしないまま、後ろからその身体を抱きしめていた。
いつもの優しい匂いのする、蛇の半身を持つその後ろ姿を。
「きゃあっ。何? 何だ、そなたか。いきなり驚かすでない」
「ヒルダ。良かった。本当に良かった。てっきり出て行ってしまったのかと」
ヒルダは驚き、身をよじるが、俺は彼女に回した腕を離す気は無かった。
離してしまったらまたどこかに行ってしまうかもしれない。そんな事は無いだろうと頭では分かってはいても、不安で体が震えてしまう。
彼女の温もりを肌に感じていたかった。確かにそばに居るのだと肌に感じていたかった。
ヒルダは俺が体を離す気が無いのが分かると、彼女の方から尻尾を巻きつけてきてくれた。
「……そなた、泣いているのか? 一体どうしたのだ。誰かに何かされたのか」
ヒルダの声が、急に真剣な色を帯びる。
「我が夫の敵は、私の敵だ。何者であろうとも夫を傷つける事は許さん。言ってくれ。誰にやられたのだ」
「違う。違うんだよ。俺は、急にお前が居なくなったから、てっきり元の世界に帰っちまったのかと思って」
「な、え? 何で、私があなたを置いて、い、いや。妾が夫を置いて一人で帰るわけ無いだろう。むしろそなたが逃げるのならどこまでも追いかけるくらいのつもりで居るというのに」
「だってお前」
「まぁ待て、その様子だと話が長くなりそうだ。どうせならそなたの顔を見て話したい。
今、綺麗な三日月が出ている。折角だから、月を見ながらあそこで話をしよう。明日は休みだし、少しくらい夕食が遅くなっても構わないだろう?」
ヒルダはそう言って、アパートの屋根の上を指差した。
二階建ての安アパートだからそんなに高くは無いが、確かにここよりは見晴らしは良さそうだ。俺の部屋の上ならば、他の住人への迷惑にもならないだろう。
ヒルダが見つかった安堵感と、急な提案に面食らって妙に冷静になってしまった。
「まぁ、そうだな」
「ふふ、しっかり捕まっていろ」
言うが早いか、ヒルダは俺を抱えて一気に屋根の上まで跳躍した。
蛇の身体でよくもここまで、と思ったが、考えてみれば確かに蛇も獲物に飛びかかったりしていたか。それにヒルダは魔物なのだから、これくらいお手の物なのかもしれない。
ヒルダは屋根の上にとぐろを巻き、自分の蛇の腹をぽんぽんと叩いた。座れ、という事だろうか。
「重くないか?」
「妾はそなたを抱えたまま跳んだのだぞ? 平気だよ」
それもそうか。俺はゆっくりとそこに腰かけた。蛇の鱗が俺の体重で少し曲がるが、彼女の言う通り特に苦しそうな様子も無い。
ヒルダが微笑みながら俺の肩に頭を預けてくる。少し驚いたが、俺はすぐに彼女の肩を抱いた。
「この世界の夜は、少し寂しいな」
「そうか? いつまでも明るいし、人で騒がしくないか?」
「だが、星が見えぬ」
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