退屈な我等に愛の祝福を

 三十歳を超えたあたりから大体のことがどうでもよく思えてきた。
 毎日が同じことの繰り返し。日々は頑張って乗り越えるものではあるけれど、頑張ったからと言って報われるものでもない。特に良いことも起こらないが、悪いことばかりが起こるわけでもない。
 どこかで誰かが幸せになっていても、不幸せになっていても、自分の人生に影響がなければああそうかと思うだけだ。
 幸せか不幸かなど、言ってみればその人のさじ加減でしかない。まして人間は何十億人もいる。恋人がいれば、お金があれば、家族がいれば、幸せなのかは人それぞれだ。
 俺から見て幸せそうに見えている人達が自分のことを幸せだと思っているかはわからない。彼らから見れば俺のほうが幸せに見えることもあるかもしれない。
 そう考えれば、自分や他人が幸せなのか不幸せなのか、考えることそのものが無駄なことのように思えてしまった。
 そのうち、自分の身に起こることさえどうでも良いと思い始めた。
 楽しいのも、苦しいのも、それが永遠に続くわけでもない。喜んだと思っていたのに、すぐに悲しくなってしまうのなら、わざわざ些細な事で一喜一憂するのも虚しいことに思えてしまった。
 それからは、極度に感情の起伏が無くなった気がした。もちろん、笑いもするし泣きもする。だけど心は動かない。自分の芯に響かない。熱くもなれない。
 何が起きても、ああそうかとしか思わなくなった。
 ……そんな矢先の事だった。
 自分の考えなど、浅はかでしかなかったのだと反省させられる事件に巻き込まれたのは。人の感じ方など、そもそも人としての在り方でさえ、たった一つの出会いでひっくり返されてしまうのだと思い知らされたのは。
 自分はただ退屈していただけなのだと、気づかされたのは。


 冬は騒がしい季節だ。クリスマスに、年末年始に、節分に、バレンタイン。町の明かりや色は刻一刻と変わっていく。
 それに対して何にも感じなくなったのは、いつのころからだったか。
 義務感のようにケーキや鶏肉を食べ、事務的に新年のあいさつを送る。けれど心の中に波風は立たない。ただ時間が流れていく。今年も終わるな。というだけだ。
 今年は年末年始に地元に帰ることもしなかった。仕事が忙しかったのもあるし、帰ったところで親戚周りに付き合わされ、強くない酒を飲まされ、二日酔いで甥や姪の面倒を見させられ、お前も早く自分の子を持てなどと言われるだけだからだ。
 とはいえ正月休みを一人で過ごすというのも退屈なものだった。
 テレビは芸能人が内輪で盛り上がっているだけだったし、外に出ても締まっている店ばかりだし何より寒い。
 映画や漫画でも用意しておけばよかったが、それも忘れてしまった。
 結果、寝正月になった。
 だらけられるときにだらける。何もしないのが一番贅沢な時間の使い道さと自分に嘯き、ベッドに転がり、天井を見上げていた時、それは起こった。
 起こったというか、やってきた。
 天井に大穴を空けて、何かが降ってきたのだ。
 それは八本足の生き物だった。そして女の子だった。人間の。人間? 人間は八本も四肢を持っていないはずだ。手足で四本だから四肢と呼ぶのだから。
 けれどそれは明らかに女の子だった。髪の長い、可愛い女の子。
 落下してきた彼女をこの身で受け止めるまでに俺が理解できたことは、その程度だった。
 夢でないことは、彼女を受け止めた瞬間に分かった。
 彼女は小柄だったが、しかし人間一人分の体重は持っていた。要するにえげつない痛かった。肺から空気が押し出されて「うぐぅ」と情けない声が漏れるくらいには。
 そして額同士がぶつかって、鼻の奥がつんとした。
「何だ何だ。何が一体、どうなって」
 体の上から重みが消える。
 涙目で視線をめぐらすと、女の子がベッドの隣に立ってこちらを指さしていた。
 やばい格好の女の子だった。
 細い手足に、凹凸の少ない、けれど丸みが無いわけではない、絶妙な年ごろを思わせる蠱惑的な体つき。艶やかで張りのあるその肌には傷や染み一つなく、雪のように純白だった。
 そんな瑞々しく眩しい肢体が惜しげもなくさらされていた。彼女はなんと服らしい服を身に着けていなかったのだ。
 ただ、性の色づく大切な部分にだけは、ふわふわしたファーで出来たスリングショットみたいな紐という、温めたいのか涼みたいのかよくわからない代物が引っかけられていた。それとなぜか頭にサンタ帽を乗せていた。
 要はほとんど裸の少女だ。さらにやばいことに、背中から蜘蛛の脚のようなものが四本も生えていた。
 そして何よりやばいのは、それがテレビの芸能人なんて目じゃないくらいの超絶な美少女だということだった。
「メリークリスマス。こんな日に一人なんて、寂しい男ね」
 俺は二の句が返せない。
 クリスマス
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