初詣の願い

 人里離れた山の中、寂れて朽ちかけた神社の周りに、柏手を打つ音が響く。
「どうか今年は嫁さんが出来ますように。そんでいずれは、子宝にうんと恵まれますように」
 青年は口の中で小さくつぶやき、両手を合わせて頭を垂れる。
 祈ったところで誰も聞いてなどいないだろうと、溜息を吐きつつ青年が顔を上げると、
「あらぁ、久しぶりに賽銭の音がしたかと思えば、何年かぶりの参拝者じゃないのぉ」
 いつからそこにいたのか、朱や金糸をあしらった豪奢な錦を纏った美しい女が賽銭箱に座っていた。
 青年はあんぐり口を開けたまま、驚きの余り言葉も出ない。そんな彼のことなど知ったことかと、女は上機嫌でおしゃべりを続ける。
「わざわざこんな人気のない社まで神頼みに来るなんて、可愛いじゃない。人間達からはとっくに忘れられていると思っていたけど、長く生きると意外な事もあるものね」
 腰程にまで伸びるのは、人ならざる存在であることを示す神々しき黄金色の髪。頭のてっぺんには、人外の証である獣の、狐の耳が生えている。
 目元や口元に紅の引かれた艶やかな顔立ち。着物は胸元や裾がはだけて白い肌が見え隠れして、社に祭られる神と言うよりは舞を捧げる踊り子のようでもあった。
 その背に陽光を金色に照り返す尻尾を揺らめかせ、手に持つ杯の中身を呷りながら、機嫌良さそうに笑って青年に顔を寄せる。
「あんたの願い、かなえてあげよっか? お嫁さんが欲しいんでしょ。何なら、あたしのお婿さんにしてあげよっかぁ」
 酒気が混じったような、甘く香る吐息を吹き付けられ、青年はぼぅっとしながらも慌てて両手を振って後ずさる。
「と、とんでもねぇ。稲荷様の連れ合いなんて、おらみてぇなみっともねぇ田舎もんにはつとまらねぇよぉ」
 そんな答えを聞いたとたん、狐の顔が不機嫌そうなそれへと一変する。
「そうね、あんたみたいなのはこっちから願い下げよ。一生独り身で童貞で過ごすがいいわ」
「お、怒らねぇで下せぇ。おら、ほんとになんも取り柄もねぐって、要領もわるぐって、村からもおんだされちまって」
 狐は溜息を吐いて、杯をひらひらとふって見せる。
「あたしが怒ってるのはそこじゃないのよねぇ。別に顔や体型なんて気にしないわ。あんた真面目で朴訥そうだし、あたし好みの"堕としがいがある"雄っぽいのにさぁ、よりによってあたしと稲荷を間違えるんだもん。ちょっと許せないわよねぇ」
「お、お狐様じゃないんけ?」
「同じ狐でも種族が違うのよ、しゅ、ぞ、く、が。
 あたしは妖狐。愛しい人には、思いっきり真っ直ぐに嘘偽り無く気持ちをぶつける裏表の無い獣なわけよ。まぁ、たまに手段を選ばないときもあるけど、それは置いといて。
 あんなお高くとまったような、清楚ぶっててその実ど淫乱なむっつり助平と一緒にしないで欲しいのよ。あいつらだって卑猥な事しか考えてないのにさぁ。いっつもあたしらのほうが悪者扱いされちゃってさぁ」
「よ、妖狐様? は、妖怪なんけぇ? でも、なんで妖怪が神社にいるんけぇ?」
「知らないわよ」
 狐は鼻を鳴らしてぷいっと顔をそらす。
「ちょっと姿を見せたら、昔の人間達が勝手に社なんて建てちゃって、お供え物なんかもくれるもんだからさ、あたしもいい気になって豊穣とか安産多産とか加護してあげてたの。ただそれだけよ」
「なんだ、やっぱいい神様でねーか」
 そらした顔が赤らんだのは、酒のせいなのか否か。
「そ、そんなんじゃないわよぅ。それに、気づいたら人間達いなくなっちゃってたし。本来あたしってそう言うの本職じゃないっつーかね、あんま得意でもなかったのよ。
 だから人間達はみんな、竜とか天狗とか、……あとあいつみたいな稲荷とか、もっと御利益がありそうな奴らのところに移ってっちゃってさ。
 まぁ、稲育てるよりご飯食べる方が好きだし、生ませるよりヤりたい生みたい派だから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど……。
 私が神様のまねごとなんてしている間に、同族達もみんな連れ合いを見つけて幸せしちゃってるし。
 って、そんなことどうでもいいのよ。大事なのはあんたがあたしを、よりにもよってあの稲荷と間違えたって事よ。
 さて、どうしてくれようかしらねぇ」
 その身体からただならぬ妖気が立ち上る。爛々と輝き出した双眸と目が合い、青年は震え上がって這いつくばるように地面に頭を擦りつける。
「も、申し訳ながったですぅ。悪気はながったんですぅ。こ、このとおりですから、どうか、どうかゆるしてくだせえ」
 妖狐が立ち上がり、歩み寄ってくる気配を感じて、青年は縮み上がる。
 しかし覚悟していたような恐ろしいことは何も起こらず、頭に乗せられた手のひらも、少し乱暴に頭をかき回すだけだった。
「ふぇ」
「ま、あんたが大っ分久しぶりにお賽銭をくれて、落ちぶれたあたしなんかを頼っ
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