そいつが現れたのは、「死にたい」と思ったまさにそのときだった。
駅のホーム、人のあまり少ない時間帯、あと一歩踏み出せば線路上に踏み出せるという状況で、気付いたときにはそいつが目の前に浮かんでいた。
蝙蝠の羽を生やし、ねじくれた角を冠して、体中に無数の触手を絡みつかせた、夜の闇を型抜きして人の形にしたような、それ。死人のように真っ白な顔だけが浮かび上がり、底なし沼のような昏い瞳がこちらを覗いていた。
目が合ってすぐに分かった。
こいつは悪魔か、あるいは死神だと。
きっと俺の死期を予知して、魂を回収しに来たに違いない、と。
別に惜しい命でも無い。つらいことばかりで、今にも投げ出したかったところだ。
おあつらえ向きに、悪魔は女型ときた。どうせ奪われるならば、男より女がいい。女に縁の無い人生だった俺にとっては、最期に予期せぬ幸運が舞い込んだといったところだろうか。不幸なのに幸運というのも妙な話ではあるが。
電車到着のアナウンスが鳴る。
俺は小さく笑って、ホームから一歩踏み出そうとして、
そして目の前に浮かんでいた悪魔に突き飛ばされて、床に思い切り尻餅を付いた。
「いてて?」
何が起こったのか分からない。立ち上がろうとすると、どすんと何かが腰の上にのしかかってきた。
なんとなく予感しながら顔を上げると、予想通りの陰気な顔がこちらをのぞきこんでいた。
「あ」
そいつの動きは、俺が口を開くのより早かった。
「あは、あははははは?」
唐突に、予期せぬこそばゆさが襲いかかってくる。
「何? うひ。ひはは、あははは、くふふふ」
息が苦しい。喘ぎながら見下ろせば、悪魔が俺の服を引っ張り上げて、真面目な顔をして思い切り腹回りをくすぐり回していた。
「ははははは、は? あれ」
再び突然息が出来るようになったかと思えば、いつの間にか悪魔は消えていた。
周りを見回すも、影も形も無かった。唯一の痕跡は、俺の着衣の乱れと、あとは
「お客様、大丈夫ですか」
可哀想なものを見るような、周りの人々の視線。
駅員に手を借りて立ち上がりながら、俺は改めて思う。
……死にたい。
殺人的な業務を終えて、重い身体をなんとか持ち上げて着替えを終える。
ふとロッカーの鏡が、そこに映る不健康そうな男の顔が目に付いた。
どこかで見たことがある目だった。自分の顔なのだから当たり前なのだが、そうではない。自分以外で、最近こんな顔を、目を見たような……。
考え込んで、思い出す。
自分は悪魔を見たんだった。
しかも最近どころか、今日の出勤前のことだ。
今日もまた雀の涙程度の金を稼ぐために怒鳴られて嫌みを言われて謝らなければならないのかと思ったら、ホームから飛び降りたくなったのだ。
そうしたら、目の前に悪魔が居た。
まぁ、結局飛び込めずに地面で一人笑い転げていたのだが。
疲れてそういう幻を見た、という事なのだろう。不健康そうな表情をしていたが、顔の作りとしてはなかなかの美形だったのだからなおさらだ。
「ノイローゼなのかな、俺」
星空のようにきらきらと光る街の明かりを見下ろしながら、一人つぶやく。
「あれ?」
気がついたら職場のビルの屋上にいた。しかも眼下に大通りが見える、端っこの端っこに立っていた。
唇の端が上がってしまう。恐怖のためなのか自嘲のためなのかは、自分でもよく分からなかった。
「……まぁいいか、どうせ帰っても誰もいないし」
口にすると、笑みが余計に濃くなった気がした。
体重が、少しずつ前に傾いていって。
どの辺に墜落するだろうか、出来ればあまり人に迷惑をかけないところがいいな、などと考えながら下界を見下ろすと。
目と鼻の先に、あの悪魔が浮かんでいた。
落下さえ始まらない、まだ足が床から離れてもいない状態で、そいつは俺に向かって突っ込んでくる。
ふわっと宙に浮くほどの勢いで体当たりされて、受け身も取れずに背中からコンクリートの床に落ちて肺の中の空気が一気に抜けた。
「ぐえ、げほっ。おま、あは、あはははは」
まただった。駅の時と同じように、そいつは俺の服を脱がせて肌を直接まさぐりくすぐってきた。
「ははははは、うく、くくくくくはははは」
抵抗しようにも力が入らない。
その上触手が手足に絡みついてきて、動かす事すらままならなくなる。
悪魔の手は腹の周りだけでは無く、背中や胸元にまで忍び込み、なで回しこちょぐり回す。触手も袖口から入り込んできて、二の腕や脇の下、膝の周りを蠢き回る。
「ひひ、いひひひひひ。いひゃひゃぁ」
ほっぺたに舌が押しつけられる、首筋をなめ回される。片手が上半身からズボンの中に入り込んでくる!
耳の中に舌が入り込んできて、股ぐらでしっとりとした女の指が動き回る。
「
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