第二章:この手で触って確かめあって

 あのファイという人間と出会い、そして別れてから、時折体が震えるようになった。
 冷気を司る私が寒さを感じるはずもない。にも関わらず、何かを無くしてしまったような、何かがこぼれ落ちていくような感覚とともに体が震えた。
 そして十分な糧を得ているはずなのに、時折飢えや乾きに似た感覚に襲われた。
 試しに領地の冷気を強めて多めに精気を集めたこともあったが、どんなに集めてみても物足りなさが消えることは無かった。
 領地の管理に影響が出るほどでは無かったが、しかしその感覚はふとした瞬間に思い出したかのように私を蝕んだ。
 こんなことはこれまでに無かった。私の心はいつも白く澄み切り、静寂だったというのに、今は色や音が無いことで逆に気持ちが落ち着かないような、そんな矛盾したような状態になってしまっていた。
 私は変わってしまったのだ。彼との出会いによって。彼のせいで。
 忘れられないのならば、こんな思いになるのならば出会わなければよかった。命など助けずに、中庭の白に埋もれさせておけば良かった。
 人間なんて、地に満ちるほどに増えすぎているのに。それにあっという間に寿命を迎えて死んでしまうのに。あそこでそのまま野垂れ死にさせておいたとしても、この世界には何の影響もなかったのに。
 なのに私は彼を助けてしまった。
 あまつさえ、再会を望んでしまった。
 あれからどれほどの時間が経ったのだろう。数日しか経っていない気もするし、もう百年以上も時が過ぎてしまった気もする。
 人間の、生き物の命は短い。
 もしかしたら、彼はもう死んでしまったのかもしれない。
 ……いや、そもそもファイという若者は本当に存在していたのだろうか。
 私が私を自覚するようになってから今に至るまで、私の世界には彼のような存在は居なかった。いくら探しても、似たような存在さえ見つけられず、感じ取れなかった。
 私が彼の存在を感じ取れたのは、あの時の一瞬だけだ。
 突然現れて、そして最初から誰も居なかったかのように消えてしまった。
 その痕跡を何も残さずに……。
 冷静に考えれば、人間がこの氷の宮殿にたどり着くなんて事はありえない。ましてや転移魔法の失敗で偶然私の元までたどり着くなんて。それこそおとぎ話のような話だ。
 私は、もしかしたら砕けて舞い散る氷の塵の煌きの向こうに、蜃気楼を見ただけだったのかもしれない。
 あれが幻では無かったのだと、誰が証明できるだろう。
 私は『狂って』しまったのだろうか。だとすれば、いつから『狂って』いたのだろうか。
 けれど、それならば私にとっての『正気』とは一体なんなのだろう。私が『正常』かどうかは、誰が教えてくれるのだろうか。
 私の世界に、私と対等の者は存在しない。支配し、管理するのは常に私一人。私が『正気』であると保証してくれる存在もまた、誰もいない。
 あぁ、私はどうすればいいのだろう。どうなってしまうのだろう。
 私が私で無くなるまで、この不愉快な気持ちは私の中にわだかまり続けるのだろうか。
 それとも、いつの日か全てを忘れて、また真っ白な自分に戻れるのだろうか。
 この世界を管理するためだけの存在に。
 ……戻ってしまうのだろうか。私にとっては、それが正常なのだろうか。
 願わくば、一日も早くその日が訪れることを。……いや。
 私は、本当は。これが狂っていると言うのであれば、……私は。

『……様。女王様!』

 宮殿の空気がざわめいている。グラキエス達が戸惑いの声を上げている。
 私は物思いにふけるのを止めて、寝室からグラキエス達の呼ぶ女王の間へと移動する。
 彼と出会った中庭を横切り、幻のような思い出にまた震え出し乱れかかる心を無理矢理に白く塗りつぶして、歩を進める。
 女王の間にたどり着くなり、私はいつもと違うただならぬ状況に陥っていることを悟った。
 いや、グラキエス達が私を呼ぶということ自体が緊急事態なのだ。最初から気付くべきだった。
 女王の間の扉付近にグラキエス達が集まっている。
 何かを取り囲んでいるようだったが、彼女達と同期した感覚からはそれに対する敵意は感じられなかった。さりとてそれを歓迎しているというわけでもなさそうだ。
 正体がわからず困惑している。そんな様子だ。
「どうしたのですか」
 問いかけると、グラキエスの一人が振り向き、私に事情を伝えてくる。
 彼女の見たままの情報が直接私に送られてくる。


――*目の前の床に、突然魔法陣が浮かび上がる*――
――*そこから極彩色の燃える光が溢れ出す*――
――*光は冷気の魔力に侵され、外側から少しずつ凍り付いてゆき*――
――*やがて燃え上がる炎の氷が出来上がる*――
――*氷がひび割れ、砕け散ったかと思うと*――
――*そこには黒いローブをまとった人間の男が立
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