私の世界には、白と、青と、朧気な光しかない。あらゆるものは動きを止め、色彩を失って凍り付き、そして粉々に砕け散る。
目に見えぬもの。魔力や、大気や、音や、光や、闇さえも凍てつく、明るくも暗くもない、静寂だけが満ちる空間。
存在を許されるのは、私を除けば私に仕える氷の精霊、グラキエス達くらいのもの。そんな彼女達でさえ、常に自分自身を意識し続けていなければ、心さえも凍り付いて己という存在ごと虚無に飲み込まれてしまいかねない、冷たく過酷な環境。
生きとし生けるものの侵入を拒む、静止と沈黙で形作られた世界。完全で、完璧で、完結した世界。
それが私の住む世界。雪山の連なる白き高山帯。その最奥、天を貫かんばかりに高くそびえる山の頂にある「氷の宮殿」だ。
昼も夜もない常白の宮殿から、私は眼下の雪と氷の国々を、私の支配する白と青の世界を監視し、管理し続ける。
目を開けているときにはグラキエス達から報告を聞き、目を閉じているときは遠目の術で雪山の隅々までを見守る。
眠ることも無く、休むことも無く、私はただただ変わらぬ世界を見下ろし続ける。氷の女王と呼ばれる、雪と氷と冷気の権化。
いつからここに居たのか、なぜこんなことを始めたのかは、自分でも覚えていない。
私がここにいるから白く青い薄明かりの世界がここに生まれたのかもしれなかったし、全てを静止させ凍て付かせる世界自身が己を管理する存在として私を生み出したのかもしれなかった。
そんなことはしかし、どちらでもいいことだ。
白と、青と、煌いては消えてゆく光しかないこの世界は、何が起こったとしても決して変わることは無いのだから。
私が私という存在に気が付いた時から、私が私という存在を忘れ去ってしまう時まで。世界は変わらず、あるようにしてありつづけるのだ。これまでのように、これからもずっと。
いつものようにグラキエス達の報告を聞き終えた私は、玉座を離れて宮殿の奥の間にある寝室へと向かっていた。
とはいえ眠るためではない。
この国に生きる全ての生き物達から少しずつ熱を奪って糧としている私には、動物のように食事をする必要も、身を横たえて眠りにつく必要も無い。
女王の玉座から下がるのは、ひとえに私の従者を労うためだった。
別段、私自身はどこに居ても構わない。休む必要も無く、私がやらなければならないこと、この雪と氷の国の管理は、どこからでも出来る。
私の領域にいる限り、私はどこに居ても私の世界の全てを知ることが出来、どこへでもこの手で操ることが出来る。それほどに私の力は強力だ。
だがその強すぎる力は、私のそばに居るものに対しては同時に脅威でもあった。
『氷の女王』の冷気は、あらゆるものを白く凍てつかせて虚無へと還す。その強烈な魔力は氷の精霊であるグラキエスでさえ凍てつかせ、目に見えぬ心でさえも凍らせ無にしてしまいかねない程大きな力だった。
故に彼女達は常に私の前では気を抜けず、何らかの形で自己を認識し続けていなければならなかった。
ある者は自己の存在を問い続けることで自分がここにいることを確認し、またある者は役割を果たし続けることで己を確立し続ける。といったように。
愛するものを宮殿に連れ込み、常に連れ合いに触れ合う事で自分を確認し続ける者達もいた。
比較的、そういう者達は不思議と強固に自我を保つ傾向にあった。
恐らく、一人で自問自答を続けるよりは、他人を想っている自分を意識すること、また他人から想われたいと意識することによって、より自分という存在を認識できるからなのだろう。
そうした対抗手段を持たぬ者、あるいは一瞬でも気を抜いてしまったものは、いかなる存在であろうと私の前で動きを止めた。
無論、取り返しのつかなくなる前にしかるべき処置、宮殿の外、私の影響の弱まる領域にまで移してはいたが、常にそんなことが続いていては私の役目にも支障が生じ、また貴重な働き手を失う事にもなりかねない。
だから私は、なるべくなら彼女達から離れていることにしているのだ。
それを見つけたのは、寝室に向かう途中の中庭での事だった。
中庭と言っても、ただの真っ白な空間をそう呼んでいるだけだ。冷気の魔力で形作られた人間や獣、魔物、花や果樹などの像は置かれてはいるが、光や影さえ凍てついて砕け散るこの冷気の世界では、陰影さえもぼんやりと薄れて、普段は見えるものなど何もない。
そんな白く、白い、眩しい暗がりの中に、浮かび上がるように、穿たれたように、小さな黒い色が染み付いていた。
雪に垂れた薄汚れのようなそれは。まさしく汚れていた。
草臥れた黒い外套に身を包んだ人間の男だった。
髪の色も黒く、その肌も白とは言えない血の通った色をしていた。
青年と呼ぶにはまだ幼く、しかし
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