聖ミズラフ修道院の裏手にある山道から下ること数百メートル、そこには修道院が建設される遥か以前から山の民の暮らす村があった。
総主教のいる聖教会を中心としたヤマツミ村と呼ばれるこの村は人口の少ない小さな村だが、人間とドワーフの二つの種族が共存していることが最も大きな特徴であろう。
「……何とかなりそうではあるか?」
総主教は教会の居住区にて一つしかないベッドに少年を寝かせると、その身体に傷が付いていないことを確認し、部屋の暖炉に薪をくべて火をつけ、部屋の温度を上げる。
微かに頷くと温度が上がりつつある部屋の中で少年の脈拍をはかり、呼吸が正常であるかも確認した。
「先程より顔色はマシか? 目が覚めない以上油断は出来ないが……」
よほど恐ろしい目に遭ったのかそれともなんらかの特殊な攻撃を受けたのか、理由は一切わからないが傷もなく、総主教の見た限り病に患っていないにもかかわらず目を覚まさないのは厄介だ。
「……(とにかく出来る限りのことはした。あとは主神様次第だな)」
ベッド脇にある木の椅子に腰掛けると、総主教はじっと少年の様子を眺める。
「……(かわいそうに、聖ミズラフ修道院の子供か?)」
だとすればあんな異常事態に巻き込まれて命からがら修道院を逃げ出し、なんとか外まで来てそこで力尽きてしまったのだろうか?
『……総主教殿っ!』
少しばかり物思いに耽っていた総主教だが、居住区の扉を叩きながら叫ぶ声に現実に引き戻され、ゆっくりと椅子から立ち上がり扉を開ける。
「エスルアーか……」
そこにいたのは小柄な体躯にりんごのように紅潮した肌と短く切りそろえた黒髪の可憐な少女。
見た目は一桁の年齢にしか見えないが、その実総主教と大差ない時間を生きているヤマツミ村のドワーフ、エスルアー・バルタザールだ。
「あなたっ! 外から帰ったらまず真っ先にわたしとわたしの娘に会いなさいって言ってるじゃないのっ!」
どうやらこのドワーフの少女は総主教が何も言わずに教会に引っ込んでしまったのが気に入らないらしい。
それを見て総主教は、小さな身体を怒らせて興奮の極みにあるエスルアーの頭に手を載せ、目を伏せる。
「すまなかったな、君は私が外に出るのを心配してくれていたのだったな……」
「な、なに? ずいぶんと素直じゃないの……」
バツが悪そうにエスルアーはしばらくモジモジとしていたが、総主教の後ろのベッドに誰かが寝ていることに気づき、表情を変えた。
「だれかいるの?」
「……遭難者でな、すまないが手を貸してくれないか?」
エスルアーは部屋の中に入るとベッドの中で眠る少年を覗き込み、一通り調べてから少しばかり安堵した表情を浮かべる。
「顔色もよさそうだし、怪我もなさそうだね」
「……医療魔法の必要はなさそうだが、まだ夢の中、だ」
ふと総主教は視線を下に移して、少年が何かを握っていることに気づいた。
「なんだ?」
少年の硬く握られた右拳を総主教がゆっくりと開くと、中から闇のように黒く、同時に光沢がある不思議な物質がその姿を現わす。
「エスルアー、このような物質を見たことはあるか?」
「……なんだろ? ドラゴンの鱗にも見えるけど……」
子供の掌より小さな丸い形の物質。冶金術や彫金術の専門家であるエスルアーは、見慣れぬ物質に興味津々だ。
「……たしかに竜族か、あるいは巨大なラミア族の鱗に見えるかもしれないが……」
そうなんとか呟く総主教だが、彼はこの『鱗』が得体の知れない魔力を纏い、今なお微かに放出していることに気づいていた。
「……これは厳重な結界をもうけて至聖所に封印する」
物質そのものに魔物の魔力が宿り、それが人体や環境になんらかの影響を与えるということは往々にしてよくあるが、それにしてもこの『鱗』に宿る力は不吉過ぎる。
「えええっ!? もう少し詳しく調べたかったな……」
残念そうに肩を落とすエスルアーではあるが、総主教が直々に封印を決めることの重大さはよく知っていたためそれ以上は何も言わなかった。
「……う、ううん……」
「……!」
ベッドの少年がゆっくりと瞳を開いたのを見て、総主教は慌ててその手に持っていた『鱗』をポケットにしまい込む。
「気がついたみたいだね」
エスルアーは嬉しそうに少年の右手を握ると簡単に脈拍を測り、その身体が健康であることを確かめた。
「うん、体温も脈拍も問題なし。健康そのものみたいだね」
「……ここはどこ? ぼくは、どうなったの?」
不安そうな少年を安心させようと、総主教はにこやかな笑みを浮かべ、その優しげな瞳を向ける。
「ここはヤマツミ村、聖ミズラフ修道院近くの山道に倒れていた君はこの村に運び込まれた
[3]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録