春さんの研究室に来て1週間が経った。
僕は仮住まいとして予約していたホテルをキャンセルした…というより、春さんによってさせられたのである。
そうなった経緯は以下のようなやり取りによるものだ。
『ええと、昨日は泊まってしまいましたが…今日は日もぼちぼち落ちてきましたし、そろそろ帰りますね』
『…?私のご飯は?』
『へ?』
『ご飯、私のご飯、この前約束したじゃん』
なんと、ご飯の世話をご所望なのである。
『いやあの、約束はしてませんし……同じ屋根の下に住むのはちょっとマズいですし……とにかく!今日は帰りますから!』
『………ぐすっ』
と、春さんがベッドに丸まって泣き出してしまった。
僕は悪くないのに罪悪感が芽生える。
『わ、分かりましたって!ご飯作ったらいいんですね!?』
『うん、笹とエビの入ったあんかけ焼そばがいい』
『…………』
『〜♪〜〜♪』
僕がキッチンに立つ姿を、ニヤニヤしながら煙草の煙をくゆらせて見つめている。
これから数日間、僕が騙され続ける春さんの得意技【嘘泣き】にしてやられたのであった。
『はい、できましたよ、エビは腐っていたので捨てましたけど…ご所望の笹入りあんかけ焼そばです』
『美味しそう……あ、お茶でも飲んで行ってよ』
時計を見る。
現時刻は17:55。
春さんの家は山の中腹にあるため、日が落ちてから下るのは非常に危険だ。
おまけに鬱蒼と茂る竹や背の高い草に囲まれているため、蛇や熊などと鉢合わせる危険もある。
夜ならば尚更だ。
夕日もだいぶ傾いてはいるが、まぁお茶を飲んで行くくらいなら…そう思い、申し出を受けることにした。
見事に春さんのやり口にハマってしまっているとも知らず。
『うんしょ、うんしょ』
『あ、春さん、大丈夫ですか?お茶ポットなら僕が運びますから…』
『座ってゆっくりしてて、私が何週間…ううん、何日か前に煮出したお茶を味わってほしいから』
『………それ、腐ったエビと一緒に冷蔵庫に入ってたやつですか?』
『あっ、つまづいた』
『えっ』
春さん特製のお茶を頭からひっかけられたのである。
『うわー、ごめんなさーい、わざとじゃないんですー』
『転んだにしては不自然に、派手にかけられた気がしますけど』
『まーまー、シャワー使って行ってよ』
山のふもとに行くまで30分ほど。
幸い夏なので日没も遅い。
これから10分でシャワーを浴びれば帰れないこともないだろう。
春さんがお風呂場でガチャン!ガチャン!と物を投げるような音を出している。
『最低限シャワーは浴びられるようになったから、どうぞ』
『………へ?』
春さんのお家の風呂場は広い。
人が5、6人寝転がれるほどである。
浴槽も3人は大人が入れるであろう大きさだ。
しかし、僕が入ったお風呂は地獄絵図であった。
『春さん、なんですか?このタイルの端の緑色のラインは』
『模様』
『カビですよね』
『はい』
『床にもホコリが溜まっているのもおかしいですが、何より、何よりもまず僕が言いたいのはですね』
『うん』
『なぜ空の浴槽に段ボールやら缶詰やらバケツが置いてあるか、ということです』
『………知らない』
『…………』
自分のことを、特にきれい好きだと思ったことは無かった。
むしろ部屋は汚いし、そういったことに関しては無頓着であると思っていた。
しかし春さんのような人も世界にはたしかにいるのである。
ものすごく、めちゃくちゃ、圧倒的に、絶対的に、究極の、突き詰めた、ダメな人間。
すなわち【超ダメ人間】が。
『はっ!』
気づくと僕は、お掃除ブラシ(新品)とカビキラー(開けたて)とパイプユ○ッシュ(ほこりまみれ)とバケツとタワシを手に、お風呂をピカピカにしていた。
『んまい…あんかけ焼そば…んまいなぁ……もう嫁にしたい…』
リビングでは春さんが焼そばを食べている。
時刻は17:20。
外はとっぷりと日が暮れていて、すなわち。
TIME OVER なのである。
身体が呆れて疲労を訴える。
『僕、お風呂入ります』
『うん、あ、シャンプーはこれ使って』
『…どうも』
手渡されたシャンプーボトルを置き、長らく使われていなかったであろう蛇口をひねる。
『あー………』
帰りたい、とは特に思わない。
研究施設は大学よりも整っている上、好きなことができる。
春さんは超ダメダメダメ人間であることを除けばいい人だ。
家は使われている(使える?)部屋が少ないとはいえ、かなり大きい。
『まぁ…なんだかんだ、春さんも美人だし…な……』
お風呂上がり、僕は迷わずスマホをいじってゲームして
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