理由

魔物はもちろん人間も立ち入ることはできず、主神と神族しか住むことができない『天界』。
その一角に主神が天界及び俗世界の支配者としての仕事を行う場所がある、正式な呼び名は別にあるのだが、天界の住人しか理解できない表現が使われているのでここでは「執務室」と呼ばせてもらう。
会議や儀式を行う場所は別にあり、ここではごく日常的な事務仕事を行っていた。
執務室の主はもちろん主神だが、主の許可を必要とせずにこの部屋に立ち入ることを許された者が一人いた。
「おはようございます主神様」
「おはようフィスドナ君」
補佐官という肩書を持つエンジェルのフィスドナは、執務室に入って来た主神にあいさつをした。
フィスドナはいつも主神が来るより前に出勤し、部屋の簡単な掃除をするのが日課だった、そして主神が自分の椅子に座ったらその日の予定を説明するのが最初の仕事だった。
「本日は主神様の離任式が有り、その後引き続き交代式、そして新たな主神の就任式です」
「やっとこの日が来たか、本当に長かったな」
「長い間お疲れさまでした」
この日は主神の代替わりが行われる日であった。
「離任式までは時間が有るようだが、何かすることはあるかね」
「昨日まですべて終わらせました、なにもありません」
「ふむ、それじゃあ…」
主神は主に時間をつぶすための私物が入っている引き出しを開けたが、中は空だった。
「あれ?」
「お忘れですか、主神様の私物は全て昨日までに片付けて、箱に詰めて私室まで運んでおいたのですが」
「そういやそうだったな、じゃあ散歩にでも行くか」
「おやめ下さい」
立ち上がろうと腰を浮かした主神をフィスドナが止めた。
「なんでだ?」
「離任式の担当者から、主神様を決して遅刻させないようにと釘を刺されています」
「む…」
大事な儀式に遅刻したという前科が複数ある主神は椅子に座った。
「式が始まるまでは、何もせずここでじっとしていて下さい」
「フィスドナ君、もうちょっといい方という物が…」
フィスドナの身も蓋もなさすぎる言い方を注意しようと主神は口を開いたが、途中で話すのを止めた。
なぜならフィスドナを補佐官に任命した理由の一つが、そのそっけない物の言い方にあることを思い出したからだ。

主神は天界の最高権力者であり、同時に信仰の対象でもあった、ということは彼と対等の関係にある者は誰ひとりいないということである。
友人、同僚といった対等の関係にある者同士ならさほど長くもない会話で済むことが、相手方の実に長い前置きのあいさつから始まり、本題に入るのにいやがらせかと思うくらいとても時間がかかる話し方に主神はうんざりしていた。
過剰な礼儀を止めさせようとしたこともあったが、天界の住人の大部分は主神のほんのささいな注意でも死刑判決のように受け取ってしまうのであきらめた。
それまでの補佐官が退任し、後任を選ぶ時に複数の候補の中からフィスドナを指名した。
主神への忠誠心、任務への責任感、補佐官に求められる能力、いずれも他の候補と甲乙つけがたかったが、淡々として飾らない口調を気に入って選んだ。
会話をするときに無駄な時間を必要としないという点で主神はフィスドナに満足していたが、会話を楽しむ相手としては全く向いていなかった。

儀式が始まるまでどうやって時間をつぶそうか考えていた主神は、あることを思い出した。
「フィスドナ君、君に伝えておきたいことがあるがいいかね」
「はい、どのようなことでしょうか」
「一昨日彼女にこの部屋に来てもらったときに君は席を外していたな」
主神の言う彼女とは次期主神のことである、主神自ら時間と手間をかけて選んで指名し、仕事の引き継ぎもすべて終わらせていた。
「今日の儀式の担当者達との打ち合わせをしていました、彼らも忙しかったのであの時しか時間が取れなかったのです」
「まあそれは仕方がない、だが彼女に話したことは君にも聞いてもらいたかったのだよ」
「どのような内容ですか?」
「『魔王』についてだ」
「!?」

この時代、俗世界においては魔王が率いる魔物と人間が争っていた、互いに憎しみ合い、殺し合っていた。
人間たちは魔王と魔物を主神に逆らう存在と思い込んでいたが、魔王も魔物も主神が作り上げ、人間たちと戦うように仕向けたものだった。

「面と向かって言う者はほとんどいないが、私が魔王と魔物を創造したことについて批判的な意見が天界にもあることは承知している、君もその一人だが」
この主神は部下の意見や提案、時には諫言にも耳を傾ける方だが、このことについては一切自分の考えを押しとおしていた。
フィスドナも面と向かって言った数少ない一人だが『この件について異見は不要だ』と突っぱねられた。
「私が魔物達を作ったのもちゃんとした理由はある、彼女は私の後を継いで主神を務めること
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