「……まいったな、本隊とはぐれてしまった」
そう呟いた自らの声さえ耳に届かぬほどごうごうと吹き付ける吹雪の中、男は立ち尽くした。
顔まで覆うようにきつく巻き付けた外套は薄手で防寒に優れているとは言えず、内に着た銀色に輝くよく磨かれた鎧はキンキンに凍てつき冷気が体を蝕む。
外套の背と鎧の胸部には西方主神教団のエンブレムが刻まれており男の所属が一目でわかるようになっているはずなのだが、雪がへばりつき全く見えなくなってしまっている。もっとも、そうでなくともこの吹雪では視界もままならないのだが。
「せめてどこか風をしのげる岩場か林があれば……」
男はそう声に出したつもりだが寒さで歯の根も合わず震える唇をわずかに開閉しただけにとどまる。
北方遠征ということで鎧の内に着こんでいるのは普段使っている冷気を伝えやすい鎖帷子ではなくたっぷり綿を詰めたクロスアーマーなのだがそれもこの寒さでは焼け石に水、体力は限界を迎え刺すように冷たくもベッドのように柔らかい新雪に抱き留められ男は意識を手放した。
ゆさゆさと揺れる感覚で意識が戻る。男が霞む視界とぼんやりとした思考で自分の置かれた状況を確認すると、どうやら馬に乗せられているようだ。
「……うぁ」
喉からかすれたうめき声が鳴ると、馬の手綱を引く女性が振り返る。
「ああよかった、目が覚めたんですね。雪の丘の真ん中に倒れていらっしゃったから心配しました」
近くに住んでいるのだろうか、親切にも行き倒れた男を介抱してくれたらしい。
「毛布にくるんで体の温まる薬湯を飲ませましたから、まだお休みになって大丈夫ですよ。とりあえずわたしの家に運ぶので、着いたら起こしますね」
先ほどより幾分か寒さが和らぎ体の内がぽかぽかと温かい気がしたのは薬湯のおかげなのだろう、この様子なら寝ても死には至らないだろうと男は判断し言われたとおりに瞼を閉じる。
「あ、そうだ」
と、思いついたように女性がまた振り返る。まるで恋する乙女のように頬を朱に染めると
「その、お名前だけ……訊いてもいいですか?」
「アーネスト……アーネスト・カーチス」
アーネストは心地よい揺れとぬくもりに意識をゆだねゆっくりと眠りに落ちていった。
「アーネストさん、大丈夫ですか?」
アーネストの目が覚めると簡素ながらも大きな寝台に寝かされていた。顔を覗き込んでいるのは大きく枝分かれした角を持つ
「ッ!魔物!?」
バネ仕掛けのように跳ね起き腰に手を伸ばすが剣はない。鎧も脱がされ身に着けているのは下に着ていた服のみだった。
ぐらり、と体が傾ぐ。部屋は温かいのだがまだ手足が冷えており思うように体が動かなかったのだ。
「大丈夫ですか!まだ体が温まり切っていないんです、今温かいもの持ってきますね」
そう言うと部屋を出ようとするがアーネストはそれよりも早く叫んでいた。
「醜いケダモノの施しは受けん!」
大きな角の魔物の表情がふっと寂しげに陰る。よくよく見ると先ほど馬の手綱を引いていた女性と同じ顔をしており、視線を動かすと彼女の下半身はたっぷりとした毛皮をもつ鹿の首から下ようだ。馬に乗せられていたのではなく彼女の背に乗って運ばれていたのだとアーネストは気づいた。
「……貴様が、私を助けたのか?」
「はい、あのまま雪原に置いていくわけにはいきませんでしたから」
アーネストが問いかけると角の魔物が答える。
「そうか……その、ありがとう、感謝する」
仮にも命の恩人に対して醜いケダモノ呼ばわりしたことに対して罪悪感を覚えながらアーネストは感謝の言葉を口にする。しかしアーネストは主神教の敬虔な信者であり、主神教団の兵である。アーネストの胸中には葛藤が生まれていた。
「あの、体をきちんと温めるためにはしばらくわたしの家でお世話させてもらう必要があります……でないときっと死んでしまいます」
そう言って魔物は部屋を出ていこうとする。
「名前」
「え?」
「命の恩人である貴女の名前を教えて欲しい」
アーネストが葛藤を抑えるような複雑な表情で言うとニコッと魔物が笑う。
「ベルザです」
ベルザの春の日差しのような暖かな笑みにアーネストの罪悪感は幾分か和らげられたのだった。
ベルザに助けられて3日目の朝、アーネストは悩んでいた。ベルザは命の恩人ではあるが、主神教団の教義では悪と定められている魔物であり、そもそもアーネストは教団兵として北方に魔物の征伐のために向かう途中で遭難したのだ。本来であればベルザのような魔物を討つのがアーネストの仕事である。
「私は、どうすれば……」
行き場のない視線をベッドからゆっくりと部屋に向ける。簡素な寝台以外はクローゼットが一つあるだけの質素な室内。
ベルザが部屋を出入りする際にドアから伺ったところ居間も物は少なく、広さも寝室とさほど変わりはない。アーネストは主神教
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