ピピーッと、炊飯器が米を焚き上げる音。鼻腔にほんのりと味噌の香りが届く。
あの人がまた来てくれているのだろう。ぼやけた頭を振って起床した私は寝巻として着ていたスウェットを脱ぎ、クローゼットに吊るす。替わりに引っ張り出したのは、シワ一つないダークグレーのスーツ一式と、白のシャツ。
慣れた動作でサラリーマンの戦闘服とネクタイを纏い、姿見で身だしなみを確認。
ヒゲナシ、爪よし、背筋もよし。少しはねた髪も霧吹きとクシで整え、顔も引きつらないよう口角マッサージを行う。
なにせ今から会うのは意中の相手。彼女は知るはずもないが、私はある出来事をきっかけにその人に恋心を抱いてしまった。当然緊張するというもの。
(よし)
心の中で自分に活を入れ、息を短く吐き出す。そして寝室兼書斎の扉を開け、私はリビングに移動した。
一人暮らしにしては広い、十畳ほどの居間とダイニングキッチン。
台所に立つのは淡い黄金色の長髪を持つ妙齢の女性だ。身に纏う朱の割烹着が、はっとさせるほどの鮮やかさを放っている。
包丁を使いこなす後ろ姿からは匂い立つような色香があり、結い上げた髪の隙間からチラリと覗くうなじが美しい。背筋をしゃんと伸ばした綺麗な佇まいには、私でなくとも目を奪われるに違いない。
……おっと、不埒な感情を彼女に抱いてはいけない。
「おはようございます蓮花さん」
私の呼びかけに料理の手が止まり、彼女がくるりと振り向いた。切れ長の瞳に整った鼻梁。
高級陶磁器のように、しみ一つない白肌。女優かと見紛う程の美貌の持ち主だ。
「おはようございます、想一さん」
どんな男も虜にする、淑やかで気品のある滑らかな声。彼女の名は山城蓮花、二十五歳。
失恋が原因で落ち込んでいた私を励ましてくれて、そのまま色々と世話を見てくれるようになった方だ。
私より一つ年上でもあるのだが、こちらの歳を明かすと大層驚いていた。なんでも私の年齢を二十代後半と思っていたらしい。
外見のせいで実年齢より上に見られるのは、もう慣れている。
「もう少しお待ちになって。このネギを入れたら完成間近ですので」
「恐縮です。毎朝食事を作りにきてくれるなんて、本当に頭が下がります」
「その言葉を貰えただけでも作り甲斐がありますね」
柔らかに笑うと、彼女は手元にあるネギの小口切りを再開し始めた。
その間、私は洗面所で手早く洗顔とうがいをすませる。
リビングに戻るとテーブルの上には茶の入った湯のみと購読している新聞が置いてあった。
「すいません。気を遣わせてしまって」
「お構いなく」
朝食ができるまでの間、くつろがせてもらうことにした。
口に含んだ緑茶は熱すぎもなくぬるすぎもしない、丁度いい温度だった。豊かな日本茶の香りが鼻を抜け、リラックスした気分になる。彼女の淹れるお茶は本当に美味しい。
吐息をつき、新聞を開く。大見出しには、新しく改定が為された人魔異種間結婚についての法案や変更点がアレコレ書かれていた。
「両者の合意といくつかの条件を満たせば、未成年の魔物娘とも結婚が可能か。日本も以前と比べて大きく変わったな……」
青少年健全育成条例の名の元に、あらゆるものを片端から規制し禁止してきた国のやることとは思えない。これも十数年前に突如として現れた新しい隣人達、魔物娘の影響力が大きいということだろう。
ついこの間は、魔物と人間の重婚を認めるという法案が可決されたばかり。
つくづく魔物娘達の手腕には驚かされる。
「想一さんは、今回の未成年結婚許可改定や人魔婚について反対ですか?」
料理を続けながら蓮花さんが伺ってくる。刻んだネギを鍋に入れ、ゆっくりとみそ汁をかき混ぜる姿は彼女の居住まいもあって中々絵になる。
「私は賛成派ですね。どちらかと言うと、としう…年下が好きという訳ではないんですが。けど本当に想い合っているのに、それが罪や悪とされてきた今までの法令に疑問を感じていたので。人魔婚に関しても、種族の違いや見た目がどうのこうの言うつもりはありませんし」
年上の女性が好き、という言葉を寸前で誤魔化して別の文脈に変換できたのは僥倖だった。
まだこの感情を、彼女に悟られる訳にはいかない。
「そ、そうですか。よかった」
どこかホッとした様子の蓮花さん。こちらこそ良かった、気取られなかったみたいだ。
「いただきます」
「どうぞ、お召し上がりになって」
両手を合わせ、朝食をご馳走になる。向かいの席にはニコニコした笑顔を浮かべる蓮花さんが座っており、私の手元を眺めている。
目の前には彼女の手作りごはん達が、湯気を立てて食されるのを待っている。
熱々ふっくら炊きたての白米。わかめに油揚げ、大根と豆腐、小口切りにされたネギが浮かぶみそ汁。彼女の髪と同じ色の綺麗に巻かれただしまき卵。そして一口サイズに乱切りされた野菜と牛肉が自慢の肉じゃ
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5]
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録