「なあ、何読んでるんだ?」
夕焼けの光が差し込む第二図書室に、明るい声が響く。
顔を上げた僕の目に映ったのは――。
「……?」
明るい笑顔が似合う、僕からもっとも遠い人種だった。
※ ※ ※
「……」
ぺらり、静かで、埃っぽい第二図書室に本を捲る音が響く。
それ以外の音は時計の針の音くらいしかない、静かな部屋。
放課後の喧噪も、学校の端にあるここには殆ど届いてはこない。
その中心で僕、結城 圭(ゆうき けい)は一人きりで過ごしていた。
昔から、人付き合いが苦手だった。
誰かと話すという行為が苦痛で、人の目を見て話すなんてもってのほか。
授業中は指されないように目を伏せて、昼食はひとりで食べる。
小学校低学年のころに、軽いいじめを受けたのがきっかけかもしれないが、今は詮無きこと。
残ったのは人と話すのが苦手、という結果だけだ。
そんな僕にとっては、この埃の香りのする部屋が唯一の居場所だった。
ベストセラーが置かれている第一図書室とは違い、死蔵された文で満たされた部屋。
古い歴史の本と、自然科学。論文。
そういった普通の学生が読まないような本で満たされたここには、学生がやってくることはない。
暗い部屋の中心で本を読んでいれば、だれともつきあわずに過ごすことが出来る。
昼休み、放課後。
誰かと鉢合わせをしないように過ごしてきた僕にとってここは安息をもたらしてくれた。
置いてある本は片っ端から読んだ。
魔物がやってくる前に書かれた自然科学の本や、寄贈が昭和の百科事典。
それらを開いては、知識を頭の中に詰め込んだ。
おかげで、視力が悪化した僕は分厚い眼鏡をかけることになった。
目立たないように過ごそうとしていた僕にとって、それが目立つ特徴になってしまったのが少しだけ、辛かった。
「……ふう」
本から目を離して、一つため息をつく。
時計を見ればもう帰る時間だ。
鞄を担いで、図書室を出れば無人の廊下。
靴箱から靴を取り出して、ゆっくりと帰路につく。
家に帰ったら勉強をして、ご飯を食べて、風呂に入って、寝る。
これが、僕の日常。
……その、はずだった。
※ ※ ※
「なあ、何読んでいるんだ?」
「……苔の写真集」
彼女――勇ア 音羽(ゆうざき おとは)がやってきたのは、僕が安息の地で過ごすようになってから数ヶ月経った頃だった。
明るい笑顔が似合うクラスメイトのオーガ。
ほんの少し着崩した制服に、緑色の肌。長い二本の角には紅いリボンが飾られている。
長身を活かして活躍するバスケットボール部のエースで、クラスの中心。
この前の学校新聞では、バスケットボールの大会で彼女がシュートを決める瞬間が一面を飾っていた。
僕から、一番遠い人種。
グループワークの時に、二、三言くらい交わしたかもしれないが、それ以上の言葉すら交わしたこともない。
「苔の写真集って……あの苔?」
「……苔」
手元の本を開いて見せて、再び僕は目線を下に戻す。
今日読んでいたのは、苔の写真集。
細かい写真を見ていると、心が落ち着くのだ。
「そっか」
彼女は、それだけ口にすると、僕の右隣にどっかと腰掛けた。
日の光を浴びて、埃がちらちらと舞う。
そして、鞄から参考書を取り出して机の上に乗せ、ピンク色の筆箱をとなりに置いた。
ちらりとそちらを見ると、今日出されたレポートの宿題だった。
しばしの時間、かりかりと文字を書く音が静かな教室内に響く。
暖かな彼女の体温が、少し離れた僕の身体にも伝わってきて、本に集中できない。
早くこの時間が終わってくれれば良いのに、そんなことを考えて、彼女の手元を見てしまう。
「あれ、ここどうなってるんだっけ」
「……そこは、微分して公式に直す」
だから、彼女の大きな独り言に反応してしまったのだろう。
参考書に書かれた公式を指さして、ぼそりと口にする。
ばつが悪そうに目をそらす僕に、彼女はにかっと笑って。
「そっか、ありがと。お前良い奴なんだな」
そんな言葉を口にした。
ざらりとした、ハスキーな声。
いつも明るい、彼女らしいものだと思った。
「……別に」
良い奴なんかじゃない。
単に、彼女から離れたいから。早く帰ってほしいから口にしただけなのに。
そんな目を向けられるいわれはない。
けれど、僕に出来ることは。ただ曖昧な顔をして写真集に目を落とす事だけだった。
「うっし、終わった!」
それから彼女がレポート相手の悪戦苦闘を終える頃には、すでに僕も帰る時間になっていた。
結局あれから彼女は何回か大きな独り言をつぶやいてきて。
たまに僕が無視しようとするたび、何度も疑問を口にする彼女
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