「……日付が変わるのには、まにあわなそうですね」
「ああ、先10kmにわたって渋滞だそうだ」
暗い車内、カーラジオから流れる音声に、助手席に座る先輩は表情を変えぬまま小さくため息をついた。
リッチである彼女の魂を込めた箱が、感情を表すようにかたかたと揺れる。
「高速を降りようと提案した私のミス−−だな」
「いや、これは流石に先輩のせいじゃないと思います」
狭い車窓から見える景色は、都心では珍しい雪模様。
出発時、そこまで強くなかったそれはいつしか本降りとなって、夜の街を白く照らしていた。
普段雪が降らない街にとっての降雪というのはかなりの大事だ。
このとおり、僕達が長い長い渋滞に巻き込まれるほどに。
「完全に流れ、止まっちゃいましたね」
前の車の動きに合わせてブレーキを踏むと、きい、という鈍い音とともに車は完全に停車した。
目を凝らせば、ずっと先まで続く渋滞が見える。
まだまだ、帰りは遅くなりそうだ。
「……そうだな。長期戦だ。こいつでも飲んで暖まるといい」
「お、ありがとうございます。先輩」
隣から渡された缶コーヒーを一口含むと濃い苦味と暖かさが口の中に広がる。
そして、ほんの少しの甘みが舌の上に残った。
コーヒーに仄かに混じる、花のような香り。
「−−ふふ、隙あり。間接キスだ」
「ふふ、そうみたいですね」
車を止めたまま、隣を見る。
いつも無表情な先輩の顔が、ほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。
渋滞の時間も、そう悪いものではないのかもしれない。
◆ ◆ ◆
「ただいま」
家に帰るのが、少しだけ憂鬱だった。
一人暮らしをするようになってから、「おかえりなさい」と言ってくれる人がいなかったからだ。
暖房の効いていない、暗い部屋。
だれも答えない「ただいま」という言葉とともに荷物を置いて、インスタントの夕飯で軽く済ませたらシャワーを浴びて寝る。
僕にとっての家はそれだけの場所だった。
「お帰りなさい。今日もお疲れ様ですの」
だけど、今は違う。
耳に響く甘く、涼やかな声に、思わず笑みがこぼれる。
暖房の利いた暖かい部屋の台所で、エプロンをつけた小さな少女が僕にむけて微笑んでくれるからだ。
リビングドールである彼女にとって、台所の流し台は結構な高さのはずなのだけれど、巧みに踏み台をつかって調理する彼女は、そんなハンデなど感じさせない堂々とした姿だった。
「今日は、貴方の大好きなカレーライスですの。勿論甘口ですのよ」
「うん、いい匂いだ……」
促されるままに手洗いうがいをして、食卓に座る。
手作りのカレーライスの香りが、疲れた体に染みていくのが良く分かった。
口に含むと、ごろごろとした人参やじゃが芋、食べ応えのある鶏肉。そしてぴりりと辛くて、それでいて彼女のように優しいルゥが舌をとろかしていく。
「箸安めですの」と添えられたサラダはドレッシングが手作りで、酸味が新鮮な気分にさせてくれる。
どこまでも僕好みの、思わず夢中になる味だった。
「……ごちそうさま」
「おそまつさま、ですの」
一息で食べ終えた僕に、彼女は再び笑いかけてくれた。
細く緩められた瞳は、僕のことを何でも知っているみたいで、なんだか恥ずかしくて……すごく、心地よかった。
「いつも、ありがとう」
「ふふ、どういたしましてですの」
心の底からの感謝を告げると、頭を撫でられた。
密着した彼女の甘い香りが、肺に満ちていく。
「でも、「ありがとう」などと軽々しく言わないで下さいまし……これからも、ずっと一緒ですのよ」
「うん……でも」
ありがとう。
そう、言いたかった。
こんなにも、帰りが楽しくなったのだから。
◆ ◆ ◆
「嘘……だよね」
「ごめん」
「こんな時期に転校って……無いでしょ」
「……ごめん。でも本当なんだ」
いつもと同じ、中学校からの帰り道。
僕の言葉に同級生の彼女は頭を振った。
メドゥーサの証である頭の蛇がそれに併せてゆらゆらと悲しげに揺れる。
「嘘って、言ってよ」
「……」
「今なら、こんな悪質な嘘でも、許してあげるから」
「……ごめん」
「謝んないでよっ!?……私が聞きたいのはそんな事じゃないっ!」
「……っ!?」
ぎしり、彼女の叫びにあわせて、僕の身体が蛇に睨まれた蛙のように動かなくなる。目に映るのは彼女の爛々とした瞳の輝き。
メドゥーサが持つ石化の力が僕を縫い止めていた。
「怖いでしょ?こうして拘束されるのは。このまま完全に石にしてみようかしら。いつもと違ってずっと動けなくする事だってできるわ」
彼女の白い蛇を思わせる美しい指が
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