ある演者の追憶

「−−ミーシャ。たしか、君は−−」

 死んだはずだ。と男は口を動かした。
 その言葉に、小さく首を振る少女。

「……うん。『私』は、あの日。死んだの」
「……そうか」

 静かな、時間が流れる。
 鉄格子からそよぐ風の音が、やけに大きく響いた。

「だから、ここに居る私は、ニセモノ」
「それは、一体?」

 戸惑いを隠せない男に、少女は笑う。
 月明かりの下。影が、その形を変えていく。
 灰色の髪も、灰色の瞳も、地味な、茶色の服もーーすべて、黒に変わっていく。
 数瞬の後、其処にいたのは−−黒衣の魔物。白い肌の上に、怪しく紅い瞳が煌く。
 誰かの願った姿に代わる、影。
 その名は。

「ドッペルゲンガー、か」
「−−はい」

 影の魔物は、ゆっくりと彼に近づき。その手を取った。
 男の傷だらけの手を、白い指が撫で−−そして、その手に嵌められていた枷を外す。

「私は、影に過ぎません。でも」
「……?」
「私は、知っています。あなたの、想い人を。魔物となってしまってもなお、あなたのことを待っている人を。知っています」
「何を、言っているんだ……?」

 訝しげに、首を傾げる男。
 けれどその目には、何かに期待するような色が混じっていた。

「会いに行きましょう。それで、貴方が勇者になった所を、見せてあげてください」
「お、おい!ま、まてったら!」

 ドッペルゲンガーに手を引かれていく男。
 二人の姿を隠すように−−幕が下りていった。



−−−−−−−


「はい、お疲れー!二人ともいい演技だったよ!」
「は、はい。ありがとうございます……」
「……ふう、やっぱり男役は、疲れる」
「わたしも、変身しないで舞台に立ったのは、初めてです……」
「はは、公演を重ねるうちに慣れるって。それにノイエは本人役だろう?恥ずかしがってる暇は無いよ」
「う、うう……」

 『眠らずの国』の一角に置かれた劇場。
 その舞台裏で、舞台衣装と演出担当のアタシ、ガラテアは役者たち−−即ちノイエと、ジナイダに向けて笑って見せた。
 アタシ達が行っていたのは『再会』と題された劇。そのリハーサルだ。
 実際にあった出来事を元に、リャナンシーの夫であり、有名な小説家であるギリアン=クラフトという人物が綿密な取材を行って書いた小説が原作だ。

「私達が使うにはこの劇場、物凄く豪華だし怖いです……」

 おっかなびっくりと言った様子で機材を壊さないよう歩くノイエに、アタシは苦笑で返す。
 この劇場は、かつてベルフィード様が歌を披露したこともあるほど格式のある物。本当はアタシたち弱小劇団が使えるようなものじゃない。
 恐らく、元となった小説がそれだけ売れた、ということなのだろう。

「しっかし、アタシたちの中で一番最初に結婚するのがミーシャだったとはねえ」
「……でも、最初から彼氏、いたみたいだし」
「そうねえ、時間の問題だったと思うわ」
「ぐ……アタシもあんな彼氏が欲しい……あの結婚式とか、ホント凄かったし」
「全く。落ち着きなさいな。大事な劇なんでしょう?はい、紅茶飲んで」
「おう、ありがと」

 リィナから渡してもらった紅茶で咽喉を潤して、気分を落ち着ける。
 そう、これは大切な劇なのだ。
 懐から取り出した台本に書かれているのは、ベルフィード陛下のサイン。

「ほう、そんな催しをするのか−−上演するときは、是非余を招待してくれ」

 練習中のアタシたちの後ろに不意にあらわれた彼女はそう言って気さくに笑って見せた。
 そんなベルフィード陛下に思わず『サインください』って言ってサインを求めたら、快く書いてくれた。
 途中何度か手を抜きたくなる所もあったけど。この国の王が見るものなのだ。
 この台本を見るたびに、そうやって気合を入れなおす。

「さ、次のシーンの練習を始めようか。ディルフィナ、そろそろ出番だよ」
「うう、何故私がこのような催しに……」
「一応仕事なんだろ?だったら、頑張らなきゃ」
「そ、そうだ。これは仕事、これは仕事……」

 傍らの椅子に座っていたディルフィナに声をかけながら立ち上がる。
 今回の劇は、リアル志向。
 そのためだけに『眠らずの国』の王城に出向き、給料と、いい劇を行うことを条件に彼女を借り受けたのだ。
 最初は演技指導だけの予定だったのだけど、彼女の役をこなすなら彼女が一番という結論にいたり、結局役者として壇上にあがるようになった。
 元来の生真面目か、嫌々と言った様子に見えて練習はきっちりこなす上に台詞覚えも良く、アタシたちとそん色ないくらいの演技を見せてくれる。 

「さあ、逃走のシーン、始めるよ!」
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