「おい。いつまで寝てるんだよ」
男が話しかける。
俺の良く知っている人だ。
鋭い瞳と、危険な香りをまとった男だった。
恐らく、後ろ暗いことも随分やったのではないかと、噂されていた男だった。
少なくとも、俺達が暮らす施設には、縁のない類の存在だったと思う。
「何が「私はみんなを笑顔にしたいのー」だよ。お前のせいでみんな泣いてんだろうが」
男は、話しかける。
普段、皮肉を告げるときのような軽い口調。
だけどその声は、震えていた。
「もうカーニバルも五月祭りも終わったぞ。姉ちゃんのお菓子がないって餓鬼どもがうるさいんだとさ。どうにかしろよ」
返事はない。
当たり前だ。
彼が話しかけている人は、『ザイドリッツの道化姫』は。
「――なんとか言えよぉぉっ!!」
冷たい、墓の中で眠っている。
虚しい絶叫が、墓所に響く。
恨みと、憎しみと、悲しみと、怒りと。
ありったけの激情をないまぜにした声。
「……」
その様子を、俺はただ見ていることしかできなかった。
なんて、声をかけたら良いのか。分からなかった。
彼に見つからないよう、俺は静かに墓所を後にした。
−−−−−−−
通いなれた道を歩いて、孤児院に戻る。
通り過ぎざまに、一人の子供と視線が合った。
「あ……」
何かを告げようとした彼はしばし口をパクパクと開き、結局何もいわないまま俯き加減に走り去った。
彼の顔は影になって良く見えなかった。ただ、赤い頬に濡れた跡が残されていた。
近所に住んでいて、たまに遊びに来ていた子。
少し腕白なガキ大将で、生意気盛り。
元気一杯な男の子で−−彼女が、死んだ原因となった人物でもあった。
あの日、高い所から降りられなかった彼を助けようとして、足を滑らせて頭を打った。
それが、彼女の死因だった。
良く笑っていた彼は、その日から。笑わなくなった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
施設に戻って、厨房を覗く。
同じ年長組のミーシャが一人、かちかちになったパンを砕いて粉状にしていた。
粉状のそれになけなしの砂糖と卵、植物油を加えて寝かせ、出来上がった生地を天火で焼けばビスケットのような菓子になる。
貧乏孤児院でパンが余ることなんてない。自分の食事の分を抜いて貯めていたのだろう。
問い詰めると、カーニバルの時にお菓子がなくてみんなが拗ねてたから、と彼女は困ったように笑った。
「あのさ、ロラン」
「どうした?」
天火で菓子を焼きながら、彼女はぽつり、と呟く。
普段と変わらない声音。
しかし、その目はどこか遠くを見つめていた。
「君だけ、だったんだよね」
「ああ」
彼女の言葉に頷く。
重い空気の中、甘い香りがやけに鬱陶しく感じてしまう。
「あの日−−泣けなかったのは」
「……ああ」
あの日。
施設のみんなに好かれていた彼女が死んだあの日。
子供達も、施設の母さんも、サーカスの人も、そしてあの男すら泣いていた。
目の前にいるミーシャなんて、バカみたいに泣いたせいで目の周りを腫らしてしまっていた。
泣けなかったのは、俺だけだった。
淡々と実家に連絡し、葬儀の準備をして、彼女を見送った。
悲しかったはずなのに、涙は流れなかった。
みんなみたいに泣きたかったのに、泣けなかった。
その日から、冷たい奴と呼ばれるようになって。ミーシャ以外はだれも俺に話しかけることもなくなった。
「ロランは、優しかったから。しょうがなかったんだよね」
「俺が、優しい?」
「−−うん」
不意に、ミーシャが俺の方に振り返った。
灰色の瞳が、俺の黒い目を映していた。
「あの時、誰かが冷静にならなかったら。君が葬儀の手配をして、準備してくれなかったら大変な事になっていただろうから。だから、ロランは泣けなかったんだよ」
「……」
何も言い返せなかった。
口を何回か開けて、「そんなに俺は、殊勝じゃない」と言おうと思ったのに。彼女の目がそれを押しとどめていた。
「ロラン。だから、そんなに苦しまないで。君の優しさは。私が知ってるから」
ミーシャは、何故か泣いていた。
白い頬の上に、小さな涙の道が出来る。
「私が、代わりに泣くから」
何だよ、その理屈。分からない。わかるはずもない。
ただ、一つだけ。
「……ありがとう」
心が、温かくなったような、そんな気がした。
俺が勇者を目指すようになった理由は、そんな出来事だった。
−−−−−−−
「ふすま入りパン二つ、いつも通りチー
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