「d4」
「ナイトf6」
「c4」
ことり、駒が置かれる音。
黒を持つのは夕美。
彼女が選んだオープニングは、クローズド・ゲームと呼ばれるもの。
細かいアドバンテージを稼がずに前に出る。
初心者が打つには、あまりにも難しい定石であった。
(ーーねえ、雅人)
黒のポーンが突撃し、黒のナイトが道を切り開く。
(私は、君と一緒にいたい)
黒のポーンが潰され、白のビショップが飛び込んでくる。
二人の間に、言葉はなかった。
ただ、駒だけが交錯する。
雅人が取った戦術も、また攻撃的なものであった。
強引に攻める相手に対しては、護りつつ構えて自滅を待つほうがアドバンテージを稼げるはずだが。
彼は、攻めることを選択する。
あっという間に積み上げられる駒たちの死骸。
夥しい血にまみれた戦場で、さらに進軍していく。
(夕美、君のおかげで、俺は立ち直れた)
白のルークを進め、相手の陣を崩す。
(だから、俺は先に進みたい)
黒のナイトの急襲で、陣が崩される。
ミドルゲームの時点で、戦局は五分。
変わらずにお互いに残された駒を、ぶつけ合う。
(雅人、きっと君は知らないだろうけど)
(私は−−星が好きなんだ)
(だから−−)
(もう少し、そばにいてほしい)
(話したいことが、いっぱい、あるから)
(見たいものが、沢山あるから)
ことり、d6に黒のビショップが置かれる。
白のルークと、白のナイトが串刺しになった。
(−−っ!?)
それは、かつての再現であった。
マクシミリアンズ・ハウント。
引き分けの提示に見せかけた、ルアーリング。
雅人の顔が、歪む。
引き分けることは出来る。
負けることも、ない。
しかし、勝つことも出来ない。
勝つためには、悪霊に身を任せなければいけない。
(−−夕美)
白のナイトを、 前に進める。
引き分けを避けるための悪手。
(私は、君のことを知っているの)
(チェスが趣味だってことも)
(女の子に、どきっとすることも)
彼女には、確信があった。
(私に、勝とうとすることも)
雅人が、プライドのためにナイトを前に進めることを。
(私は、知っているから)
(−−盤上の、君を)
「−−チェック」
黒のクィーンが、白のキングに迫る。
白のルークが、食い止める。
「−−チェック」
黒のルークが、白のキングに迫る。
白のビショップが、叩き潰す。
「チェック・メイト」
その手は、盤上の戦争の最後に、ソフィリアが見せたものに酷似していた。
夕美は、その結末を知らなかった。
それは、偶然の出来事であり−−あまりに出来すぎていた。
白のキングが、倒される。
それは、夕美がはじめてみる風景だった。
しばらく、彼らは口をきけずにいた。
「夕美」
「なあ、に?」
沈黙を先に破ったのは、雅人だった。
どうして、俺に勝てたんだ?
そんな、言葉にならない質問をした。
「−−かんたん、だよ」
「きみのことを、しっていたから」
夕美はそう、小さく笑った。
−−−−−
数年後、とある男がチェスのプロとなった。
かつて天才と呼ばれた男だった。
魔物に負け、屈辱を味わった男であった。
彼の趣味は、星を見ることだった。
彼は、ひたすらに勝ち続けた。
相手の手を読み、ひたすらに打ちのめしていく。
人々は畏敬と恐怖を込め「マクシミリアンのようだ」と、彼を指差した。
そのたびに、彼は「−−俺は、まだその域じゃない」と苦笑したのだった。
ある日、彼に質問があった。
チェスの好きな少年の質問だった。
「−−どうして、そんなにも強くなったんですか?」
彼は小さく悩んだ後
「知りたくなったからなんだ
彼女の、ことを」
小さく、笑った。
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