おしまい

「先輩」
「……佐倉君?」
 優衣が倒れた日の真夜中、呼び鈴の音で優衣は目を覚ました。
 隣では精が尽き果てた恭一が静かな寝息を立てていた。
 疲れ果てた彼を起こさないように、静かに起き上がりドアの前に立つ。既に腹にできた傷はない。むしろたっぷりと注がれた精によって、彼女の身体は元と変わらないほどの艶やかさを取り戻していた。
「すみません、こんな夜分遅くに」
「ううん、大丈夫」
 アパートの薄いドア越しに、公平と優衣は向かい合った。
 直接会うのは、恭一に悪い。二人ともそう考えていた。
「その声、やっぱり篠原先輩なんですね」
「うん。ゾンビになって、この前蘇ったの」
「そう、なんですか」
 ゾンビになって、蘇った。
 恭一の言葉が、公平の中で何度もくりかえされる。
 普通だったらありえないこと。しかし、目の前で見てしまった事実は変えようがなかった。
 そして、恭一が天文部に来なくなった理由も、すぐにかえるようになった理由も。パズルのピースがかちりと嵌るように心におちていった。
「その、先輩」
「どうしたの?」
「今日は、ありがとうございました」
 ゾンビになっても、先輩は先輩だ。
 自分に言い聞かせるように、公平は言葉を紡いだ。
「……いいよ。とっさの事だったから」
「それでも、ありがとうって言いたかったんです」
「ふふ、公平らしいね」
「そうですか?」
「そうだよ、ゾンビ相手でもそういう律儀な所は変わらないなあって」
「……篠原先輩相手、だからですよ」
「……そっか」
 公平の言葉に、優衣は小さく頷いた。
 かつての記憶。律儀で、よく話してくれた後輩の事が蘇る。
「篠原先輩」
「公平君?」
「差し出がましい言葉ですが……一言、お願いしても良いですか?」
「内容次第」
「『恭一君が一番好き』そういってくれるだけで良いです」
 公平は、目を閉じ、拳をぎゅっと握り締めた。
 かつて、優衣が癌で入院したとき、恭一と同じく公平も彼女の元に良く通っていた。
 しかし、ある時から彼は病院に行くのをやめていた。
 朽ちゆく彼女が、死に近づく姿を、みていることが出来なかった。それが、原因だった。
「それは、公平君」
「……言ってください。お願いします」
「わかった」
 一瞬戸惑うように唾を飲み込んだ優衣は。
「私は、恭一君のことが、世界で一番好き」
 その言葉を、口にした。
「ありがとう、ございました。警察とかには頑張って嘘ついたんで。明日からも頑張って誤魔化すんで。大丈夫だと思います」
「……ありがと」
 公平は頭を下げ、アパートを後にした。
 その目には、すがすがしい涙があった。
「ーー新たなターゲットはあいつね」
 そして、彼はまだ知らなかった。
 後ろから忍び寄る白髪の女性の姿を。
 これは、彼が『ペット』を飼う事になる1時間前の事であった。 


−−


「恭一、起きて」
「う、ううん」
「もう、夕方だよ?そろそろおきないとキスしちゃうぞ?」
 揺さぶられる感覚で、恭一は目を覚ました。
 搾りつくされた身体は若干だるかったが、全力で発散した結果かどこかすっきりとした目覚めだった。
「ふふ、おはよう恭一」
 目を開けると、優衣の姿が映った。
 長い黒髪と、やや童顔な表情が見える。
 そして−−
「……優衣?」
 彼女の、山猫のような知性を映した瞳が見えた。
 先日までのぼんやりとした目とは明らかに違う、彼女本来の表情だった。
「ほら、恭一。ご飯できてるから。冷めちゃう前に早く着替なよ」
「あ、ああ」
 言われるがままに起き上がった恭一の腹がくぅ、と空腹を訴える。
 思えば、最後に食べてから既に十二時間以上の時が経っていた。
 言われるがままにいつの間にか着せられていた寝巻きを着替え、普段着を着込む。
 後ろではかちゃかちゃと食器を並べる音が響いていた。
「はい、どうぞ。--その、あんまり経験ないから無難でゴメンね?」
 数分後、恭一の前には、暖かい食事が並べられていた。
 冷蔵庫に入っていた野菜とベーコンをそのまま塩胡椒して炒めただけの野菜炒めと、出汁入りの味噌を溶かした味噌汁。そして、白いご飯。
 それは普段恭一が作っている食事と殆ど変わらないものだった。
「……いや、おいしそうだ」
 勧められるままに、野菜炒めを一口食べる。
 普段と変わらないはずなのに、それは妙に美味しいものに感じられた。
 愛する人の作るものというのは、それだけで美味しいのだ。そんな言葉が思い出される。
「美味しい」
「良かった」
 恭一の言葉に、笑顔を作る優衣。
 その笑顔は、やはりぎこちない
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