「こんにちは、先輩」
「あれ?今日は早かったね」
「そろそろ、学期末ですから」
「ああ、テストが大変だ。ま、わたしは受けないんだけど。うらやましーだろー」
「うう、確かに羨ましいです」
清潔さが売りの病室。田村恭一は病室の主であり同じ天文サークルに所属する先輩である篠原優衣の言葉に小さくうな垂れた。春から夏にかけて変わり行く時期特有のうららかな日差しが窓越しに暖かい光を投げかけていた。
「君、成績良くなかったもんねえ」
「進級が、単位が……」
「ま、人生は一度だ。そんなことで落ち込んでもしょうがないって」
「むう、人事だからって気軽に言って」
可動式のベッドの上で、からからと笑う優衣を恭一は恨めしそうな瞳で見た。言うは簡単だが、実際に当人にならなければこの苦しみは分かるまい。特に優衣は恭一と違って進級の悩みなど全くない優等生だった。小学生のころから、勉強を一方的に教えられた思い出が蘇る。
「あはは、確かにそうだね……で、今日のおみやは?」
「またそれですか先輩。ちゃんと持ってきてますよ」
「こいつが一番の楽しみだからね。はよ」
「はいはい」
せかされるままに恭一が鞄から取り出したのは正方形の小さなチョコレート。所謂10円チョコという奴だった。色々な味があるのが売りだが、中にはどう表現して良いのか分からないのがあるのがポイントである。
「んー、娑婆の菓子うまー!」
「そうかなあ……?」
そして、頼まれるがままに恭一が買ってきたのもそんな味の一つ。大福味である。あまりにおいしそうに食べる優衣を見て、思わず自分も口にしたキ恭一は口の中に広がった粉っぽさにもれなく苦い表情を浮かべることとなった。
「うん、娑婆のものってだけでもそれだけで3倍ましで旨い。それは間違いないね」
チョコレートを綺麗に舐め溶かし、包装紙を丁寧に畳んだ優衣は小さく微笑んだ。彼女が動くのに合わせて、腕につけられた点滴がゆらゆらとゆれる。
「最期になるって思うとなおさらね」
「最期……?」
「うん、多分わたし。もうダメ」
「ちょ、ちょっと待ってください先輩。だって最近は以前より大分良くなったように……」
「だから、だよ」
恭一の言葉を遮るように、優衣は笑った。自らが死ぬというのに、やたら明るく。
その迫力の前に、恭一はただ黙ることしか出来なかった。
「多分、薬の種類変えたんだと思う。ほら抗がん剤って副作用キツイだろ?それを抜いたからだよ」
末期の癌。それが彼女を蝕む病魔だった。
恭一もそれを知らないわけではなかった。確実に助からない病気であることも。
たしかに恭一は彼女が副作用相手にぶーたれていたのを覚えていた。味覚がなくなったり、吐き気が止まらなかったり。ある時は本当に幽鬼の様な顔をしていた。しかし、最近はそんなことを見せない彼女に、ほっとしていたのだった。
「だからさ、恭一」
「何ですか?先輩」
恭一の声は震えていた。これから、彼女が何を告げるのかわかって、それを止めることが出来なかった。
「毎日通ってくれて、ありがと。−−けどさ」
「……先輩、それは……・」
「ホントはもっと早く言う予定だったんだけどね。こーんな先の短い私と話してないでテスト勉強の一つでもしろっての。人生は短いんだよ?」
そして、優衣はなんのこともないように。
「もう、来なくて良いから」
その言葉を告げた。
−−
「そう、ですか」
「ええ。その……いままであの子の相手をしてくれて、ありがとうね」
次の日、お見舞いに向かった恭一を迎えたのは、彼女の母だった。
普段と違う病室に寝ている彼女は、人工呼吸器をつけ、目を閉じていた。
かひゅ、かひゅと空気の漏れる音が、静かな病室に響いていた。
「いえ、俺が勝手にやっていたことなので」
そう、先日拒否されたばかりだと言うのに恭一は彼女の病室を訪れたのだ。間違いなく勝手な行為だった。
そして言い訳を考えずにすんだと少し安堵してしまっている心に気づき、彼は拳を握り締めた。
「でも、あなたのおかげであの子、随分助かったって言っていたから−−ありがとう」
「そう、ですか」
頭を下げる彼女の母親に、恭一も釣られるように頭を下げた。
そして、ふたたび意識不明になっている優衣に目を向ける。
静かな寝顔だった。まるで、今にも起きて来そうなほどに。
だけれど、それは敵わない幻想だ。彼女の母から改めて聞かされた。優衣の癌は、すでに脳に転移しておりどう足掻いても治しようがないということを。
そんなことも、彼女は知らせてくれなかった。
「……バカヤロ」
誰にも聞こえないように、小さく呟く。
彼女と、自分に
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