「ご主人様、お茶が入りましたよ」
「……ありがとう。でも、その……外でご主人様と呼ぶのは」
とある美術展に二人で通った帰り道。
少しばかり広くて、飲食が可能な広い公園は、中々に良い天気だった。
彼女がもって来てくれた紅茶とおかず、私が作ったおにぎりをシートの上に広げる。
彼女が退院してから数ヶ月の時が過ぎた。
その間にあったことを一言で説明するのは不可能なほど、濃密な時間だった。
ただ、毎週のようにロミ・ケーキに行ったのは確かだ。
姉の姿ではなく、黒髪で紅い瞳の彼女に会いに。
他愛のない話をしたり、ちょっとしたゲームをしたり。
一度だけ洋子を連れて行った時もあった。洋子はしばらく彼女の事をみつめた後「……おじさんのことを、よろしくたのみます」と口にしていた。
その時の彼女の顔は……なんというか、筆舌に尽くしがたいものだった。
とにかく。こうして、一緒に休みが取れるときに一緒にちょっとしたデートに行ける程度にはお互いの事を知れたと思う。
「ご主人様は、ご主人様ですよ」
「……そ、そうか」
メイド服ではなく、白のワンピースを着こなした彼女からご主人様と呼ばれるのは、中々に恥ずかしい。
普段のメイド服で呼ばれるのも、微妙に抵抗があったのだがそれ以上に厳しいものがある。
誤魔化すようにおかずのから揚げを一口食べると、肉汁と同時に醤油と生姜の風味が口いっぱいに広がる。
「−−美味しい」
「ふふ、お粗末さまです」
以前通っていたときとは違って。この頃は彼女オリジナルの料理を食べるようになった。
「本当に、いいのですか?」と聞かれたけれど、今は彼女の料理が食べたい。そう考えられるようになっていた。
私の心は現金なもので、今の私が欲しているのは。姉ではなく、まして姉に化けた彼女ではなく。彼女そのものだった。
「そういえば、今日の美術展の作品。凄かったですね」
「ああ、確かに……あれは凄かった」
今日通った小さな美術展。そのテーマは『愛』だった。
色々な芸術家達がテーマに沿った作品を展示していた。抱き合い、よりそいあう二人の絵から。失った愛を叫ぶ彫像まで、様々な形の愛が飾られていた。
中でも、私達の心に残ったのは、美術展の隅の方に置かれた小さな絵だった。
「……『真実の愛』か」
そこに描かれていたのは、とある女性と、男性。そしてその娘だった。
手を繋いで、にこやかに笑う三人は、絵の具で書かれているというのに、どこか温かみを感じさせるものだった。
「あのロクデナシめ」
その作品を描いた芸術家は、今刑務所の中だという。
ただその隣には、いつも彼の妻が居た。
獄中から送られた手紙には、娘に対する心からの謝罪。小さなメイドに対しての謝罪−−そして、それを気づかせてくれた妻への感謝がつづられていた。
そして、いつか娘を迎えたいと。
自分にはそんな権利はないかもしれないけれど、やり直したい。
そう、書かれていた。
何を今更。
以前の私だったら、そう答えていただろう。
今の私だって、心から信じることは出来ていない。
しかし、それでも……私は、信じたかった。
愛の力を。
友人のような恥ずかしいセリフだけれど。私はそう、思っている。
「……どうしたんですか?ご主人様」
「いや、なんでもない」
傍らで座る、黒髪の少女を見る。
私は、彼女の愛によって救われたのだ。
自らを塗りつぶし、心を姉に擬態してまで。私に寄り添ってくれた彼女の愛に。
「……いや、違う」
「?」
だから、ついでで頼まれてくれないだろうか。
これが甘えだと分かっているけれども。
それでも、君に頼みたいことがある。
「……ご主人様じゃなくて。貴方と……呼んでくれないか」
ああ、何てかっこ悪い言葉だ。
しかも、しっかり懐から指輪まで出している。
情緒も何もない告白。
友人が見たら間違いなく0点の表決を下す所だ。
しかし、そんな私の甘えに。
「−−はい、貴方」
彼女は、笑って答えてくれたのだった。
−−
「−−いままで、ありがとうございました」
「おめでとう」
「うう、先こされるとは……」
「もう、折角いじりがいがあるカップルが出来たのに……ざ・ん・ね・ん」
わたしはメイド服を着た同僚達の前で深く頭を下げました。
左手の薬指に嵌めた小さな銀の指輪が、間接照明の光を受けてきらりと光ります。
ご主人様と結婚が決まったわたしは、寿退社をすることになりました。
これからは、ご主人様専属のメイドとしてわたしは暮らしていく事になります。
しばらく名残惜しく、店の中でとどまっていたわたしは、意を決して『ロミ・ケーキ』を後にしました。
「……ふう」
店を出て、
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