しゅるり、用意されたメイド服に袖を通すと小さな衣擦れの音がします。
ワンピースのボタンをとめて、エプロンを後ろで横結び(結構難しいです)にして、カフスをつければ、着替えは完了です。
魔界の仕立て屋さんが一着一着作られたオーダーメイドのメイド服は、身体にぴったりと合っていて、着るだけで身が引き締まる感じがします。
「−−髪、よし。皺、なし。カチューシャも曲がっていませんね」
姿見の前で身だしなみの最終チェック。
一応メイド長のキキーモラさんからのチェックはありますが、言われる前にちゃんとするのがメイドです。
目の前の鏡には真っ黒で地味な少女が映っています。
長い前髪の下で紅い瞳がゆらりと揺れて不気味な雰囲気を作っていました。
折角のかわいいメイド服が、台無しになったような気分です。
「はぁ……」
小さくため息を一つ。
自分の容姿とはいえちょっと地味ですし、なんというか自信がなくなります。
わたしが勤めている『ロミ・ケーキ』というメイド喫茶はわたし以外皆さん美人なので、特にそう感じてしまうのかもしれません。
毎日ホルミルクを飲んでも大きくならない体格。
一部の特殊な人には人気らしいのですが、正直実感が沸くことはありません。
同僚のヴァンパイアさん(寿退職目前)は『甘え上手になれそうで羨ましい』とブツブツ言っていました。
「さて、行きますか」
姿見から視線を外し、部屋の外へ出ます。
いつも通りの眩しい太陽が私を出迎えていました。
「わたしにも、きっと……」
わたしの呟きに答える人は居ませんでいた。
−−
「5番テーブルに予約のご主人様が来ました。対応してください」
「−−はい、承知いたしました」
チーフのキキーモラさんに頷きを返して、私はテーブルの方をちらりと見ます。
どこかくたびれた印象の男性です。
不安げに周囲をみやりながら、時折時計を覗き込んでいます。
二週間に一度。わたしをもとめてやってきてくれるご主人様です。
「−−」
意識を集中して、目を閉じます。
すると、影が集まってゆっくりとわたしの体を覆っていきます。
そして思うがままにわたしの体を変質させ始めました。
黒い髪は、灰色をおびた茶色に。
紅い瞳はご主人様と同じ、黒へと。
そして、小さな身体は、いつしか大人の女性と呼べるほどの丸みをおびたものになって行きます。
数瞬の後、わたしは完全に別の人間へと姿を変えていました。
わたしの種族−−ドッペルゲンガーの固有の力。
恋に破れた相手の記憶を読み、その想い人に擬態し、その心を得る。
そんな力です。
普段は力を使うことを禁じられていますが(変身する所を見られてしまえば、大変な事になりますし、なにより同一人物の判別が難しくなってしまいます)、ご主人様と触れ合う時だけ、わたしは彼の想い人に化けるのです。
彼の想い人−−すなわち、今は亡き彼の姉の姿に。
この姿でいる限り、わたしは彼を支える事が出来ます。
「−ーお帰りなさいませ、ご主人様」
「あ、ああ……ただいま」
変身を終え、ご主人様の前に向かいます。
メイド服も変身とともにサイズを変え、フリルを抜いた甘さの少ないものになりました。
ドッペルゲンガーの魔力に反応してサイズやデザインを変えるそうなので本当に用意してくれたメイド長には頭が上がりません。
「ご注文は、いかがなさいますか?」
「そう、ですね……この『魔界風親子丼』をお願いしてもいいですか?」
「−−はい、喜んで」
彼の記憶どおりの笑みを浮かべ、一礼してから厨房に向かいます。
味醂にしょうゆ、酒、お砂糖などの調味料で玉葱を炒め、事前に出汁をしみこませて置いた鶏肉を入れてひと煮立ち。
仕上げの卵を加える前にほんのすこしの水を入れることでふわっとさせる工夫は、彼の記憶から学んだものです。
化学調味料を入れて味をととのえたこれは店の味ではありませんが、そこはちゃんと許可をもらいました。
最後に三つ葉と胡麻を入れれば完成です。
「−−はい、どうぞ『魔界風親子丼』です」
「ありがとう。いただきます」
しばし、静かな時間が流れます。
無言で丼を食べる彼をみていると、笑顔になります。
「ご馳走様でした−−美味しかった」
「はい、お粗末さまでした」
「すごく、懐かしい味だった」
「−−はい」
彼の呟きに私は小さな会釈を返しました。
私は、彼女になることはできません。
しかし、この姿でいる限り、彼を癒す事はできるでしょうから。
−−
「次は−−そうだな、また来週食べに来ます」
「はい、かしこまりました」
店を出る彼に、相槌を返しながら、心の中で私は恐怖に震え始めました。
−−来
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