「ふ〜んふふん〜♪」
とある高級マンションの一室から、男性と思しき鼻歌が聞こえてくる。高い音程と軽いリズム、そして鼻歌を奏でている人間の爽やかな笑みから察して上機嫌なのだろう。
上機嫌な鼻歌と共に、彼が手にしている長い柄の付いたモップはアイスショーをするように軽快に床の上を滑っていく。やがて床一面を拭き終えて誇り一つ無いのを確認すると、今度はガラスに専用の洗剤を付けて綺麗に磨き上げる。
エアコンの内部に溜まった黒ずんだ埃はブラシと高圧洗浄で落とし、洗濯場の排水溝に溜まった髪の毛は薬品で溶かして最後に熱い熱湯で洗い流す。狭い溝やソファーの隙間に溜まった僅かな埃や髪の毛一本たりとて見逃さない。更に部屋を照らしてくれている電飾や電球、それらを守っている笠に付いた埃も脚立を用いて、丁寧に雑巾で拭っていく。
埃や汚れだけではない。風呂場にこびり付いた黒カビの除去や、カーペットのシミ抜きなども行う徹底っぷりだ。
そして数時間掛けて掃除した結果、部屋中は埃一つ落ちていないどころか、床は鏡のように光を反射し、その上に立っている人間の姿を鮮明に映し出す程にまで洗浄された。
無論、この一部屋だけでなく、風呂場やトイレ、台所に洗面台、一室そのものが新築時のマンションと同等か、それ以上の輝きを取り戻していた。
「うん、今日も綺麗になったなった♪」
掃除を終えて、埃が落ちていないかの最終確認をし終えるや、男性は満足気な笑みを浮かべて自信満々に頷いた。綺麗になれば心も磨かれ、心成しか身体も軽くなると言うが、まるでそれを体現しているかのようだ。
部屋が綺麗になれば、後はゆっくりのんびりと寛ぐだけ―――と思われた矢先、玄関の扉がガチャリと開かれ、向こうから40代手前のOL風の女性が現れた。しかし、女性の突然の登場に彼は驚くどころか、ニコリと爽やかな笑顔を浮かべてお辞儀した。
「おかえりなさいませ、御依頼の通りに一室の掃除をさせて頂きました。何か御不満の点はございませんか?」
「凄いわね〜! ちょっと前まで足の踏み場も困る程に部屋は滅茶苦茶だったのに、たった数時間で此処まで綺麗になるなんて驚きだわ。噂通りの…いいえ、噂以上の出来栄えね。これだけ綺麗になっていたら文句無しだわ。本当に有難うね、助かるわ〜」
「有難うございます! 今後もバブルスキーパーを宜しくお願いします!」
女性から満面の笑みと共にお褒めの言葉を頂き、青年は被っていた『バブルスキーパー』とロゴが入った水色の帽子を取って軽く会釈すると、蟹の鋏のように先が二手に分かれたツインテールがピョコリと顔を出した。
実はこのマンションは今入って来た女性が入居するマンションであり、青年―――水谷 潔(イサギ)は彼女の依頼を受けたバブルスキーパーから派遣されたハウスキーパー……家主の代わりに掃除をする、言わば家事代行人である。
バブルスキーパーは家の掃除は勿論のこと、遺品整理や墓地清掃なども手掛けており、最近それらの需要が急上昇している事もあって、瞬く間に全国展開するに至った大規模なハウスキーパーの派遣会社だ。
家主の女性から百点満点だと高い評価を受けた潔もまた、バブルスキーパーを代表するハウスキーパーの一人である。
特に彼は根っからの掃除主義者であり、掃除に生き甲斐を感じている程だ。掃除一筋で磨き上げられた潔の技量はほぼ全ての顧客を満足させ得るだけの実力を有し、正しくハウスキーパーの仕事は彼にとって天職であった。
そして本日も自分の掃除技術に満足感と達成感を胸に抱きながら、本社へと戻るのであった。
「只今戻りました〜」
「おっ、イサギちゃんおかえり〜」
都内に何店舗か置かれてあるバブルスキーパーの支社の一つに戻った潔を温かく出迎えてくれたのは、同僚であり先輩でもある女性社員だった。
元々バブルスキーパーは家政婦派遣などを生業としていた為に、社員の割合は女性8に対して男性2という、圧倒的に女性の比率が多い会社であった。
しかし、女性が多いからと言って、誰一人として『男性のくせに』と言って差別する人間は居なかった。寧ろ、男女の隔たりは皆無であり、皆仲間として平等に扱ってくれる。
今の時代には珍しい、温かいアットホームな会社であり、そんな素敵な会社に就職出来た事に潔は心から感謝していた。それが彼の頑張りへと繋がり、実績となっているのは言うまでも無い。
そして仕事から戻って来た潔に対し、女性社員は気さくに声を掛けた。
「イサギちゃん、これから何か仕事ってある?」
「本日の仕事はこれで終了しましたので、あとは報告書を提出すれば帰宅出来ます」
「じゃあさ、それが終わったら飲みに行かない?」
そう言ってクイッと御猪口の酒を飲む仕草をしてみせ、潔を食事
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