第四章 怠惰の勇者:後編

 ある男の話をしよう。

 男はレスカティエ教国の領地に住まう、移動しながら暮らしを立てる部族の出身である。

 幼少を部族と共に移動しながら育ち、十代の頃に教国の中央を目指して旅立ち、様々な人物に師事し魔術師になった。

 ──以上である。





 もしかしてこの物語を見聞きしている者は、男のことを勘違いしているのではないだろうか。

 今までここで語る機会のあった三人の勇者、彼らと同じような悲しい過去があると勝手に邪推していないだろうか。

 大切な人を亡くした。

 語るも辛い出来事があった。

 肉親に愛されずに育った。

 そんな分かり易い、後天的な理由となるものは男の人生において何一つ存在していない。

 真の異端とは、過去に何のきっかけも無く既に歪んでいるもの。鳥が空を飛び、魚が水を泳ぐのと同様のこと。異端は、異端であるが故に、異端に生まれついたのだ。後付けではない純粋培養、時としてこういう存在が生まれてしまうのが人の世である。

 しかして、全く理由が無いわけでもない。男が自らの異常性を自覚したのは、まだ部族で生活していた幼少の頃だった。

 新しい命が生まれた。喜ばしい。

 大切な物を壊された。腹立たしい。

 家族が亡くなった。悲しい。

 季節の儀式を行った。楽しい。

 「何だそれは」

 男には、感情と呼べるモノが一切無かった。

 周囲の人々や環境の変化に対し、男は常に冷淡だった。ただ現象として起きたことをありのままに捉え、吟味、理解し、それで終わり……それが男の頭の中だった。精神の強弱ではなく、そもそもの土台、精神を司る心がそっくりそのまま抜け落ちているのだ。

 仮に見ず知らずの人間に殴られたとしよう。普通ならその瞬間や、殴られた部分に感じる痛みなどに対し「恐怖」し、殴った相手に理不尽を覚え「怒る」というのが通常の反応だ。

 だが男は何も感じない。ただ相手に殴られ、痛みが残留している、ただそれだけの事でしかない。「恐怖」も「怒り」も「憎しみ」も、男の心には何も起こらない。心そのものが無いのだから当然だ。

 代わりに湧き上がるのが「疑問」。

 「どうして殴られた」

 感情に翻弄されない分、男は自分の思考全てを疑問を解消することに費やせた。自分の立場、相手の立場、そこに至るまでの経緯、相手がそんな行動に出た理由……それら全てを突き止めることに成功した時、男は己の異常性を自覚する。

 「そうか、自分には心が無いのか」

 得心すると同時に、男は身の振り方を改めた。全てを冷静に俯瞰して見られる男の頭脳は、集団の中の異端がどれだけ爪弾きにされるかを知っていた。自己保存の本能に従い、男は集団に溶け込むことを余儀なくされたのだ。

 それは、肉を食べるライオンに草食を強要するようなもの。最初から異端として生まれているから、矯正すべき箇所など初めから存在していないのだ。

 だがそれならそれで簡単だった。正常になる必要など無い、正常である「ふり」をしていれば良いのだ。

 それから男の趣味は「観察」になった。来る日も来る日も同じ空間に住む他人の所作を事細かに観察し、どんな時にどう返し、どんな状況でどう動くのか、それら全てを赤ん坊が親の言葉を覚えるかのように吸収していった。それと同時に自分をまともに見せる為の言動を学び、それを自然にこなす為の演技も身に付けた。生まれが違えば男は芝居小屋のスターにもなれただろう。

 いつしか観察行動で身に付けた感情の動きは男の素の性格となり、受け答えは元からそうであったような自然さで振る舞えるようにまで成長した。周囲の人間から取捨選択して得た人格を全身に馴染ませ、もはや演じる必要すら無くなったのだ。

 代わりに思考する時間が増えた。湧き出る疑問を解消し続ける日々が続き、それら全てに解答を求めた。

 風が吹き、水が流れ、火が燃え、土が盛る……それら全ての些細なことですら解を得ずにはいられないほど、男は次第に知識と好奇心の塊になっていった。自分の周囲にそれらの疑問の種となる存在が無くなった時、男は生まれ育った地を離れた。

 最初は学士の端くれとして教国の内部に入り込んだ。国中の図書館の蔵書を無造作に読み漁り、様々な方面の知識を無差別に吸収していった。男の好奇心が錬金術や魔術という外法の類に向けられるのもすぐの事だった。

 この世にはまだ己の知らない事柄が満ちている。探し、調べ、解き明かす、それが己に課せられた使命だとでも言うように、男は持ち得た知識を纏って魔女とバフォメットが乱れ合うサバトへ何度も足を運んだ。彼女らから魔道の知識を得られれば更なる見識を持てると期待して。

 実際のサバトや黒ミサはただの乱交会であり、男が求めるような知識はほとんど入手できなかっ
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