ある男の話をしよう。
男はとある小国同士の国境付近にある小さな農村で生まれ育った。国同士は互いに少ない土地を巡って争い、男が住む村は数年周期でその属する国を変え、どちらから見ても辺境に当たるその村の住人はその度に農奴として働かされていた。
だが財産を持て、婚姻の自由が認められいることを思えば、奴隷よりはマシ……そう前向きに考えながら住人たちは日々を慎ましく、誠実に生きていた。どうせ村を出て暮らせる宛もなく、それならこの小さな村で身を寄せ合い助け合いながら生きていこうとしていた。
男が産まれた時は難産だった。丸一日掛かって取り上げられた時、親戚だけでなく村の全員がその誕生を祝福し、その命を産み落とした母を称えた。誕生の困難を無事に乗り越えたこの子は、きっとたくましい大人に成長してくれる。我々がこの子を守り、育てよう……村全体が男を我が子のように可愛がり始めたのがこの時だった。
男性に対し使う言葉ではないが、男はそれこそ蝶よ花よと育てられ、村人全員の愛を受けてすくすくと育った。曲がらず、歪まず、まっすぐに。諸人の祝福に応えるかのように、彼はひたすら「まっすぐ」に育って行った。
だが農奴を生きるのは楽ではない。明けても暮れても畑の土と格闘し、半年経って得た収穫物の大半を税に徴収される。自分達の食い扶持は常に最低限、冬には必ず寒さと飢えで死ぬ者がいた。たまに村の生活に嫌気がさして村を出ようとした者もいたが、農奴は生まれついた村を離れることが出来ないと決められており、見つかって奴隷に売り飛ばされたりもした。
男も初めはそうだった。痩せた体に鞭を打って毎日畑に出ては土を耕し、採れた作物を税として役人がいる建物まで納めに行っていた。父も母も、両隣の住人も、村人全員がそうしていたから、男も疑うことなくそれらを日課に暮らしていた。
だがある時、ついこう言ってしまった。
「もう畑を耕したくないよ……」
嫌気がさしていたのだ。汗水垂らして収穫した麦も野菜も、糞を掃除して肥え太らせた家畜も、全てを役人に横取りされ続ける生活。冷静に考えてみればなんと馬鹿馬鹿しいのか、その現実を思い知って男はそう零した。逃れられるはずなどないのに、生まれた現実を受け入れない言葉は本来なら切って捨てられるはずだった。
だが……。
“そうか。なら、お前はもう出なくていい。あとは父さんと母さんに任せなさい”
わがままを言う息子を突き放した言い方、ではなかった。あの時の充実した笑顔を、男は忘れられない。
その日から男の分の畑を耕すのは両親の仕事になった。自分達の分と合わせ息子の分まで耕す、それだけ見ればわがまま息子が仕事を放棄して昼行燈で暮らしているのかと思われるのが普通だった。だが周囲の誰も男を責めず、見捨てようとはしなかった。いつもと変わらぬように接し、会話し、そして笑い合った。
両親が農耕に出て帰って来るまでの一日中、男は家で怠惰に過ごし、年下の子供に混じって遊び、村の老人たちの茶飲み話に耳を傾けて日々を送った。
二年後の冬、両親は過労で倒れ寒さが追い打ちしてこの世を去った。
ずっと畑を両親に任せきりだった男は、自分の置かれた立場を理解して青ざめた。畑の耕し方などとうに忘れ、男は税はおろか自分の食い扶持を稼ぐ事すら出来なくなった。いくら嘆こうとも後の祭りだった。
放蕩息子の末路、ここに極まれり。今度は誰も手を差し伸べてくれないと絶望しかけていた。
しかし……。
“おお、可哀想に! うちにおいで。お前一人を食わせるくらいどうということはない! さあ、おいで”
ずっと隣に住んでいた顔見知り、伯父のように慕っていた存在が男に手を差し伸べた。その家は子沢山の六人家族、男が入り込む余地など無いはずだった。
だが男はすぐさま飛びついた。そして今度は真面目に働いた。例え大半が自分の物ではなくなるのだとしても、自分の食べる分は自分で稼がなければという意識が男の中で芽生えていた。両親の死がそうさせたのか、あるいは手を差し伸べてくれた家主への恩義か……それとも、それらとは別の理由なのか。
男は恋をした。相手は自分を拾ってくれた家主の長女。自分より二歳年上でいつも「姉さん」と呼び慕い、幼い頃から姉代わりに接してくれていた彼女に男は淡い恋心を抱いていた。閉塞した農村の生まれとは思えないほど優しく、情緒に溢れ、誰からも好かれる人だった。それが一つ屋根の下で暮らし始め、男の慕情は日に日に大きく強く膨れ上がっていき、やがて憧れは恋慕に変わり、相手もそれを察してくれていたのか……。
「僕は、あなたのことが好きです! 愛しています! どうか、結婚してください!」
“……はい!”
父がいぬ間に逢瀬を重ね、弟
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