「ねえ、あなた、どこから来たの?」
「あん?」
暖かな日差しを受けて寝転がっていたその顔に影が差す。逆光を受けて顔は分からないが、必然として見下ろされる形になってるのは確かだ。
それが、気に喰わない。
「おい、なに人が気持ちよく寝そべっているとこを、勝手に見下ろしてくれてんだ」
「ねえ、あなた、どこから来たの?」
「てめえは耳聞こえねえのか? どけ、って言ってんだよ俺は」
どこに行ってもこういう輩がいる。同じ檻にライオンとトラを放り込んでおくようなもの。何をせずとも互いのテリトリーが重なればいがみ合い、噛みつき合いになるのは、人も動物も同じことだ。
特に「ここ」はそうだ。ならず者や喰い詰め者、行き場を失くした世間の鼻つまみ者がごまんと寄せ集められている。そんな連中は総じて粗暴で横柄な性格ばかりで、それはこの少年もまた同じだった。
「見ねえ顔だな。最近ここに来たクチかよ。しかも、なんだぁお前……」
視線が観察を要することなく、自分を見下ろす生意気な闖入者の真実を見抜く。
「ここに女が来るとか、珍しいじゃねえか。娑婆で何やらかせば、そんな身空でこんな掃き溜めに来る羽目になるんだか」
髪は短く体格は貧相、頬も皮と筋が目立ちお世辞にも整った容姿とは言えない。だが、全体的な雰囲気が男のそれとは異なるのですぐに分かる。ましてや、少年の言うようにこの場所においては珍しい存在なので、余計にその差異が浮き彫りになる。
だから余計に不思議だった。今の発言もその不思議さゆえに本心から出た言葉だった。
「ぺっ────!」
「……はぁ?」
だというのに、何だこれは?
どうして何の脈絡もなく自分の顔面に唾を吐きかけられたのかが理解できない。一瞬頬に生暖かい感触を覚えると、即座に冷たくなって流れ落ちていく。
「おい……どういうつもりだ、これは?」
「別に。気分が悪くなって、ちょうどそこにタン壺があったから。でも不思議ね。穴が五つもあるなんて」
自分が賢いとは思っていないが、とりあえず馬鹿にされている事だけは分かった。それだけで少年の次の行動を決定付けるには充分な理由だった。
後にも先にも、女の顔を全力で殴り抜いたのはこの時限りである。
ここはゲオルギア連邦領内に幾つか設けられた練兵場の一つ。全国から集められた人員に訓練を課し、その修了をもって兵士とし前線に送り出す育成機関だ。とは言え、現在の連邦は表立って交戦状態にあるわけではないので、兵士はもっぱら国境や要地の警護などに回されている。
しかし、一口に訓練施設と言っても、その実態は色々ある。
特にこの第12練兵施設に関しては、悪い意味で有名な場所だった。通常が徴兵であれ志願制であれ正規のルートで訓練を課されるのに対し、ここに集められたのは労働局がしょっ引いて来た社会不適合のならず者ばかり。生産性を第一とする連邦からしてみれば、浮浪者や犯罪者を少しでも「有効活用」したいということなのだろうか。だが所詮は粗製乱造、正規のそれと比べれば練度も程度も知れている。
二人が放り込まれたのは、まさにそんな掃き溜めのような場所だった。
「で? てめえはどこの誰だよ」
「教える必要ある?」
五分後、互いの位置は逆転していた。少年が立ち、少女が仰向けになっていた。少女の顔は腫れて歪み、一方的な暴力による制圧があったことは想像に難くなかった。僅かな抵抗の痕が少年の衣服に乱れとなって刻まれているが、結局それらは少年を害するほどの効果を発揮できなかった。
それでもなお平然と話しているあたり、この少女の図太さを表しているのだろうか。
「人に聞いておいて、てめえは名乗りもしないとは筋が通らねえな。お里が知れるってもんだぜ」
「驚いたわ。私達の間でどこの誰が上等かどうか、いちいち比べられるほどの違いがあるのかしら」
「正論だな。だが気に食わねえ。顔面行くぞ」
振り上げられた爪先が少女の頬を容赦なく蹴り抜いた。吐き出された血反吐と一緒に歯の欠片も飛び出る。
「イキってんじゃねえぞ? てめえが今までその調子こいた態度でどれだけ鳴らしたか知らねえが、ここじゃ腕っ節の強さだけが正義だ。弱いくせに口だけ達者なトーシロは犬と同じだ、俺が屠殺してやるよ」
少年はずっとそうしてきた。誇張も無ければ過少も無い。気に入れば我が物とし、気に食わなければ徹底的に叩き潰す。そこには男も女もない、原始的で暴力的、力で他者を隷属させ続ける人生を彼は歩み続けて来た。その人生に何か屈折をもたらすような過去は何一つ無く、彼という人間は最初から「そう」であったが故に。
「お互いよぉ、落ちるトコまで落ちた身だろ。だったら弱い奴
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