「何だいアンタ、外から来たのかい。珍しい、今どき旅人なんて」
生産に重きを置き、それに伴う労働を第一に据えるゲオルギア連邦において、娯楽の為の場所は少ない。金銭の遊戯は堕落を生むとして賭博は禁じられ、反宗教の気運によって国内に教会の類も無く、多くの人々は日々鬱屈とした感情を溜め込んでいた。
だが人が集まれば法や官吏の目を盗み、非合法な娯楽の場を作り出す。そしてそうした鬱憤を解消するのに打って付けなのは、今も昔も変わらない。即ち、女と酒だ。
「お上は山脈を封鎖したって聞いてたが、ありゃデマだったのかねぇ。見たとこアンタ、この国の人間じゃあるめえ」
ここは酒場。町の角の寂れたボロ家、その地下に続く道を出入り口にした非公認の場所。街の一部の物好きや、郊外の農家が個人的に造った酒を提供する隠れ家だ。営業時間は夜とは限らない。いつどのタイミングで開くかは店主だけが知っている。僅かな常連だけがその情報を共有し、それに合わせて出入りをする。
だが時たま、一見の者が入り込むこともある。つい今しがた入店したばかりの新顔が一人、身に纏った上着や帽子に付いた雪を払い落とし、丈夫な大木を切り割って作ったカウンターへと寄り掛かった。遠方から来たであろう見知らぬ客人に対し、店主は気さくに話し掛けながらも度数の高い北方ならではの酒で出迎える。
「んっ……ふぅ。温まる。これは、火酒(ウォッカ)かな?」
「へー、イイ呑みっぷりだ。よそから来た奴ぁ、たいていこの安モノで潰れちまうんだが」
「初見の客に駆け付けの一杯で安物を出すのかい? ヒドい店だ、ここは」
「この程度で潰れちまうようじゃ、ウチの国の酒を味わう資格はねぇさ。好きなモン頼みな。値段は一杯……」
「いや、ボトルでもらおう」
懐からすらりと伸びた手の先が何かを弾いた。キィン、という澄んだ音とともに空中に投げ出されたそれは、追う店主の視線を受けながら今まさに飲み干された器へと見事に投入された。覗き込み指先が拾ったそれを見て、店主の目が見開かれる。
「おいおい、ボトルでだってぇ? 悪い冗談だ、ボトルどころかこの棚のモン全部でも釣り合わねえ! アンタ、こいつが何か知ってて寄越すのか!」
「何って、金貨だろう。いいよね、金貨。キンキラキンに光るのはほんと、綺麗だね」
あっけらかんと言ってのけるが、万国共通の最高貨幣である金貨を一介の旅人がほいほいと気軽に使えるものではない。時勢やそれを鋳造した国などにもよるが、それこそ店主の言うように店の売り物を差し出してもまだお釣りを出さなければいけないほどの価値があるのだ。
しかも、旅人が投げて寄越したのはタダの金貨ではない。
「こ、こいつぁ!? 公国の刻印じゃあねえか!!」
「見たことあるんだ」
「こう見えて昔はケチな商人だった。ああ……間違いねぇ、裏面の剣十字と月の意匠、そして表に彫られた女の横顔は……噂に聞く吸血公爵、アイリス姫だ。若い頃にちらと見た程度だったが、まだこの幻の金貨が流通してたのか」
「有名だね、公爵閣下さまは。良いよ店主、安酒のお代に受け取ってくれたまえ」
金融業で栄えた大陸の金庫番ことサンミゲル公国、そこで鋳造された金貨は最も質が良いとされる。ますますもって根無し草が懐に忍ばせているものではない。
「…………アンタ、ただの旅人じゃあるまい? 一体……」
「こ、ここに、いいい……いたのか」
店主の追及を遮って二人目の客が現れる。長くここで違法酒場を経営している店主だが、いつの間に入り込んだこの二人目にはその奇怪な出で立ちに不快さを隠し切れない。
「さ、ささ探したぞ……“ビー”」
「やあ、“カルロ”。君があまりにもノロマだったので、先にお邪魔させてもらっているよ。まずは一杯どうかな。聞けばこの国独特の歓迎らしいよ」
ビーと呼ばれた青年が厚着からも見て取れるスラリと伸びた背丈に対し、カルロなるこの男はただ奇怪。まずその体躯が妙だ。吃音がひどくて聞き取り辛いが、声からして恐らく年齢は店主よりは若い。にも関わらず、大きく湾曲した背は肉体が何某かの障害を抱えていることを示し、頭は大きく垂れ下がり視線は股座を向いているのではと思わせるほど。そんな背中にこれまた大きな荷物を背負い、左手には体重を支えるための杖が握られているせいで、一歩動く度にゴトゴトと騒音をまき散らし不快感を煽る。カルロなる男はビーから差し出された器を寒さで震える手で受け取り、大した確認もせずに一気に呷る。
「ん、む……ぐ!? ぶぼ……っ!!?」
「アッハハハハ! 火酒をそんな勢いで飲むものではないよ。カルロ、君はそんな強い人間じゃあないだろう」
「げほっ、ぅえっほ……!! ひ、ひひ
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