“彼”はきっと、とても素晴らしい人物なのだと確信しました。
「何故ここまでのことを? 誰に頼まれたのでもなく、まして貴方に益があるわけでもないのに」
私の問い掛けに“彼”はこう答えてくれた。
「おれはただ静かに生きたいだけだ」、と。これはその為に必要なことだったのだと。
嗚呼、そのささやかな望みの何と難しいことよ。私は感動に打ち震えた。
たったそれだけ……ただそれだけの為に、この男は「ここまでの偉業」を成し遂げたのだ。その覚悟、その献身、その想い。もはや並大抵の言葉でそれを飾る事は無礼に当たろう。決して多くの望まぬその在り方が、結果として多くの人々を救い上げることになろうとは。
私は知った。きっと“彼”の如き者こそを……。
『英雄』、と云うのだろう……と。
“白鯨”は自らの生において、敵対した者を許したことは一度もない。長い歴史の中で彼と事を構えた命知らずは数多くいたが、そのほぼ全てにツケを払わせてきた。特に、自らを「怒らせた」者には加減も容赦もない。必ずその命を代償として要求してきた。
だが、今回の相手はどうにも珍しい。
「「さあっ!! 続きをやろうじゃあないか!!」」
幾千幾万にもなる戦いの記憶を掘り起こせば、自分より体重差のある奴はごまんといた。特殊な鍛錬や魔術による筋力の強化で一時的な肉体増強を実現した者らの中には、それこそ三倍の体重差という馬鹿げた連中もいた。だがどれだけ鍛え上げても体のサイズそれ自体は常識の範疇だった。五体という限られた範囲に、増強した筋肉をコンパクトに収納することで、一撃ごとの威力を高めるというのが常識だった。
「これ」は違う。
泥団子を二つ捏ね合わせたら重さも大きさも倍になるように、「これ」は接続された二つ分の質量がそのまま形に表れていた。順当に、当たり前に、至極当然のように、そいつは肉体を構成する質量全てがきれいに倍になっていた。
身長も倍。
胴回りも倍。
重量も倍。
体積も倍。
何もかもがきれいに倍々。そんなこと有り得るはずが無い。だがそれを成立させるのが眼前の「これ」の特異なる部分だ。
異常なまでに膨れ上がった上半身は歪な逆三角形を描き出し、その下に無数の大蛇を飼い慣らしているように皮膚が流動を繰り返す。融合により増加した部分は全てがそこに集中しており、上部に重量が寄っているその姿はさながら巨大なハンマーか。更に全身に纏った甲殻も健在であり、膨張し面積が増した体表を隈なく覆い尽くし臨戦態勢は完全に整った。
もはや超人ではない。しかし、皮肉にもその思想は受け継いだ。
足りなければ、足す。「無い」のなら「有る」ところからそれを持ってくる。
金牛だけではどう足掻いても“白鯨”には勝てなかった。だが二人ならどうだ。それもただ頭数を用意するだけでなく、比喩ではない文字通りの一心同体、肉体のスペックは単純にその総和。だが単純であるからこそ穴も隙もない。眼には眼を、歯には歯を、力には力を。腕力を誇示する者には、それ以上の暴力をもって制圧する。
「「来ないなら、こっちから行くぜぇぇえ!!!」」
発気揚々とばかりに振り上げられた巨腕が拳を形作る。動作それ自体は予測の範疇、“白鯨”にとっては苦も無く迎撃可能な攻撃のはずだった。
しかし、いざパンチが繰り出された時、予想を遥かに上回る『圧』に“白鯨”も驚愕した。
「これは……」
拳が、膨れた。
この一瞬を目撃した第三者がいたならば、きっとその異様な光景に目を剥いたはずだ。振り上がった拳が射出されたその刹那、元から大木のようだった巨腕が更に肥大化し、常人二人分の胴にも匹敵する巨大質量が大地もろとも“白鯨”を潰しに掛ったのだから。
それはもう、着弾と言ってよかった。極限まで固められ膨張した五指が接触した途端に大地は捲れ上がり、地上の大津波となって彼らを中心とし周囲へと伝播する。破壊の波動が到達した瞬間に建物は土台の基礎から爆砕され、まるでそこに炸薬でも仕込んでいたかのように木端微塵に吹き飛ぶ。遅れて落下してきた瓦礫の雨が破壊の追い打ちとなって降り注ぎ、そのエネルギーの甚大さを物語る。
「「ちょこまかと、逃げ足の早いやつ!」」
規模が桁違いなせいで魔物が使う異能のように見えるだろうが、実際のところ起こっている現象そのものは常人の肉体でも起こり得るものだ。筋肉に負荷や圧力を掛け、ポンプのように血液を集中させることでそれを肥大化させる現象。今目の前にいるこいつは二人分の体積を有しており、片方に至ってはほぼ完全な液状だった。恐らく甲殻の下は半液状であり、必要に応じて部位に集中させ硬化させることで瞬間的な破壊力を得ているのだ。
攻
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