「突然だが、湖の魚は海では生きられない。逆も然り。まあ常識である程度は想像の範疇だろうとは思うが、一応これを念頭に入れてこれから私が述べる一連の報告に耳を傾けてほしい」
「ナメクジを思い浮かべるといい。あれに塩を掛けると縮む事は余りにも有名だが、そもそも何故そうなるかご存知か? 体表の塩分濃度を調節しようと体内の水分を吐き出した結果、あの哀れな陸上軟体生物は斯様にも滑稽な姿を晒してくれるのだよ」
「魚もまた同じ。淡水に生きる種が海水域に進出しようものなら肉体はみるみる間に萎み、人間で言うところの脱水症状を引き起こして死に至る。逆に海水魚を淡水に放てば、雪崩込む水分が体内の塩分を過剰に薄め塩分不足で同じ結末になる。原理こそ違うが、人間が大量に汗をかくのと同じだな」
「さて、それを踏まえた上でもう一度説明しよう」
「今回私はこの試みを実行に移すにあたり、この国の要地にいくつかの『淡水』を形成した。変質した環境下における彼らの変化を観測し、過程を検証し、結果を記録するためだ。その目論見は諸君らの尽力もあり大事なく成就し、一定の成果を上げつつある」
「しかし、これから諸君らに話すことは既に定例会で挙げられている報告とは直接の関わりが無い事を先に言わせてもらおう」
「結論から述べるなら、放棄したエリア・ドゥヴェナーツァチより脱走者が出た」
「静粛に。諸君、どうか静粛に。事態は確かに不測のものではあるが、この事態はこの計画及びこれまでの成果を脅かすものではないと断言しよう。むしろその逆、この事件は今後の計画進行において重要な転機となるだろう」
「放棄したとは言えエリア・ドゥヴェナーツァチはかつて盛況な『淡水』の地。既に独自の『生態系』が築かれた今、その環境下より抜け出した『魚』がどうなるのか……諸君ら、興味が湧かないか?」
「だが問題が皆無というわけではない」
「知っての通り、外交下手な我らが無能なる最高評議会はこの計画がもたらす成果について懐疑的だ。戦場の空気も計算式の解も知らぬ俗人共に財布の紐を握られた身としては、実に、実に実に忌々しいことだ」
「もしこの事態が椅子を温めることしか出来ない無能らの知るところとなれば、奴らが幅を利かせてくることは容易に想像できる。諸君、それは非常に、非常に由々しき事態だ」
「というわけでだ、諸君。まことに残念だが、水槽から出た『魚』を回収する。その後に経過を観測し、過程を検証し、結果を記録しよう」
「では諸君……」
「楽しい楽しい、『狩り』の時間だ」
「ひとまずは、これでいいだろう。偶然とは言え、この我輩が王都に来ていた幸運を喜ぶのである」
突然の吐血の後に失神したコニィが担ぎ込まれたのは医者ではなく、一人の魔道師が経営する金物屋だった。彼はアマナの旧い友人の連れ合いであり、実家兼工房で鍛えられた金物を売りに遥々王都までやって来る。今日はたまたま来ていたところを、共通の友人である同僚の男の提案で診療所として使わせてもらったということだ。
「いやぁ〜、助かっただよ。さすがは魔道師さま! 持つべきは友人だべなぁ!」
「今度我輩に業務外の仕事を押し付けてみよ、その義足に神経を鑢掛けする猛毒を仕込むのである」
「済まない魔術師殿。この礼はいつか必ず」
「金銭など不要。普段からうちで鍛えた蹄鉄を贔屓にしてもらっているのでな、たまに家に顔を見せてくれるだけで構わんのである。その方が家内も喜ぶ」
差し当たりコニィの体には回復の魔術が込められたマジックアイテムがこれでもかと装飾され、奥のベッドに絶対安静として寝かしつけられた。喉に溜まっていた血は全て吐き出させ、呼吸困難まで引き起こしそうになっていた容態は一応の安定を見せている。
「まあ一ヶ月と言ったところか。よくも人体をここまでボロボロに出来るものであるな、今生きているのが不思議なくらいだ」
「……何で言わなかっただ? アマナ」
「言えると思うか?」
「そりゃそっか」
同僚もコニィの日々の働き振りは知っていた。だからこそ、彼が重篤な病に侵された身であると知れば間違いなく止めただろう。残酷なことに、それはこの無垢な少年の望むところではない。
「予兆はあったんだ。会ったばかりの頃は咳き込んでばかりで、でも最近はそんなことも無くなって……」
「だがそれは続いていた。どう見てもこの小僧の病状は昨日今日でぶり返した程度ではない。先天性か、あるいはよほど不健康な暮らしぶりだったか……」
含みを持たせた言葉と共に魔道師の視線がアマナに向けられる。その心底まで見透かすような目に当てられてアマナは身じろぎながら顔を逸した。
この期に及びアマナはコニィの素性に
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